トップアスリートを目指す妹

一週間前の昼下がり、愛莉は自分の競技会への不安から逃れるため、ただひたすら走り込みをしていた。白いランニングシューズの下で、道が後ろへ、後ろへと、送り出されていく。身体はぐいぐいと前に進んでいく。

日差しに温んだ空気が甘く頬を撫でる。公園の木々が流れ去る。桜によく似た木にピンクや白の花が咲いている。地元の人が、これはアーモンドだと教えてくれた。花言葉は「希望」だという。

愛莉はあらゆる考えを頭の中から閉め出していた。試合が近づくと、勝ちたいという欲が出てくる。欲が出てくると、どうしても身体が硬くなり、タイムが出ない。こんなときは自然の中を走る。何も考えずに済む。流れ去る風が、全ての雑念を拭ってくれる。

今、愛莉は泳ぐたびにタイムが上がり、ランクが上がっている。一方で、周囲の期待もいやが上にも大きくなってくる。期待されることは励みになる一方で、大きなプレッシャーにもなる。いらぬ欲が出て、思うように泳げず、周りの期待に応えられなかったらどうしようと不安になる。

水泳個人メドレー世界ランキング二十七位、背泳ぎ十位の愛莉はドイツでの世界選手権に出場するためにスイスでチームと一緒に事前合宿をしていた。オリンピック出場も見えてきた。調子が良い。いわゆる「乗っている」状態だった。

チーム半井を組んでもらって、他のメンバーとともにスイスにいる。あがり症の自分にとって、本番で萎縮して実力の発気できないことが気に掛かるが、メンタル面のサポートもついてくれている。

練習を積み重ね、できることは全てしてきた。これ以上ないぐらいに整えてきた。それでも失敗したときのことが不安になる。本番が近づくにつれ、不安が大きくなってくる。この不安を解消するには、水から上がり、何も考えずに公園などの木々の中を走ることだ。

緑の中に埋もれていると不思議と落ち着いてくる。気分が変わる。順位とかタイムとかに一喜一憂している自分が小さく見えてくる。アーモンドの他にも杉や檜、何種類もの名も知らない広葉樹の大木などの並木道である。