長瀬 律

名古屋市の東部に八事(やごと)という町がある。八事山に広大な土地を所有する興正寺(こうしょうじ)というお寺があり、八事山を囲むようにいくつもの大学が点在する。門前町であり、学生街であり、名古屋の企業の会長や社長が居を構えるいわゆる山の手でもある。

大学のキャンパスと道を隔て、広大な墓地が広がる。富裕層向けの瀟洒(しょうしゃ)なブティックの横に、学生向けの安価な居酒屋が立ち並ぶ。魯山人(ろさんじん)が愛した老舗料亭の横に、ファミリーが集う大型ショッピングセンターがある。何もかもが混ぜ合わさった不思議な町だ。

そしてこの町には心がつぶれそうになる時、すべてを包み隠してくれる優しい雪が降るのだ。八事の交差点から北に延びる山手通りを歩くと、ガラス張りの小さな喫茶店がある。会社を早期退職した僕が足繁く通う店だ。

窓の向こうを学生たちが闊歩する。以前この通りを、僕と沙耶伽も肩を並べて歩いていた。毎日広げる新聞の代わりに、製本され届けられたばかりの小冊子を紙袋から取り出す。沙耶伽が父親の遺志を継ぎ、出版を夢見た八事の町の編纂史だ。彼女が好んだラベンダー色の背表紙のタイトルを確認し、中表紙を捲(めく)ってこの町の歴史に目を落とす。

カウベル風のドアベルを鳴らして来店する客の皆が「寒い」という言葉を口にする。硝子の曇りを手で拭うと、寒空の下、肩を窄(すぼ)めた人々が往来している。今にも雪が降り出しそうな鈍色(にびいろ)の空を見ると僕の心が騒ぐ。沙耶伽の言霊が天から舞い降りてきそうな空だ。こんな重たい雲がたなびいていた夕ぐれ、僕は沙耶伽の父親を長い石段から突き落とした。

僕が小学生だった頃はいざなぎ景気と呼ばれ、八事の町も活気に溢れていた。赤土が剥きだしになっていた土地は整地され、宅地や店舗に変わった。裸電球だった街灯は水銀灯に換わり、砂利道がアスファルトに舗装され、交差点には信号機が設置された。街はどんどん様相を変えていった。

僕の家の近くに「ひかりストア」という市場があった。ずいぶん安普請の市場だったように思う。道路に面した建屋の左右に出入り口があり、引き戸を引くとカタコトと滑車を鳴らした。