消えては現れてとコロコロと交錯する仕草や表情の中で、寂しそうに涙の雫を床に落としたのはいつもの郁子だったのかもしれない。慌てて追いすがる春彦の手は、その郁子には届かなかった。もはやそこにいるのは別の生き物であるかのようで、ブルっと身体を震わせたかと思うと目を閉じてしまった。

その日を境に郁子にとっての父は、どうやら春彦ということになっていた。この問題を解決するために、春彦は一体何人の医師に郁子を診せたことだろうか。精神的な逃避行動であると言うばかりの医師たちが、果たしてそこに明確な解決方法を提示することはなかった。

この二年間、その喪失感と悲しみに耐えながら、ことの原因と解決方法を考え続けてきた春彦にとって、亜希子は愚痴の一つも言ってやりたいような存在だった。しかし、そうできなかったのは、亜希子が郁子との出会いに一役買ったばかりではなく、春彦の青春の象徴として特別な存在だったからかもしれない。

イマイチ反応の悪い春彦を余所に、亜希子は郁子に一体何があったのだろかと、気を揉み続けていた。気が付いたときには、亜希子は春彦をリビングに残し、二階への階段を一足飛びに駆け上がっていた。

慌てた春彦は亜希子の腕をつかみリビングに連れ戻すと、ソファーの前の床に俯せに引き倒した。やはり亜希子に隠し通すことは、無理というものなのだろう。春彦は観念するしかなかった。

「これ以上、郁ちゃんを苦しめないでください」

一呼吸おくと春彦はこの期に及んで、まだ言いあぐねていた言葉を口にした。

「郁子はあなたがアメリカに発った翌日から、幼児退行してしまったんです」

亜希子は燃えるような目で、春彦を見ていた。立ち上がるその勢いで春彦の胸を突き飛ばした亜希子は、軽く尻もちをついた春彦に吐き捨てるように言い放った。

「だったら何だというの? 尚更私に会わせるべきではないの? あなたが不甲斐ないばかりに、こうなったのでしょう」

『あなたのせいだ!』

と、春彦は感情的に言い放ってしまいたかった。

【前回の記事を読む】妻が流産してからの二年というもの、何がいけなかったのかとひたすら考え続けてきた