「東京五輪開催に向けた国民の支持率が7~8割という状態で招致に向かっていく。全国民の7~8割が賛同することってほぼないし、1億人に背中を押されて大仕事する経験なんてほとんどない。ものすごいプレッシャーでした。招致活動だけでも1000億円規模のお金を使っているわけですから、負けて帰ったらどうなるのか。

日本を出る時も『もしもダメだったら生卵とか飛んでくるだろうな』と思っていたぐらいです。でもいざとなると、試合のような感覚でした。始まるまでの準備や待っている時間、そこは本当にめちゃくちゃ緊張する。でも始まればやってきたことを出すしかない。むしろ本番のほうが楽しむことができました」

極限に立ったからこそ味わう楽しみ、とでも言うべきか。

かつて経験したことのない緊張感とプレッシャー、さらに招致活動は太田にとって大きな学びの場であり、決して大げさではなく人生を変える時間でもあった。

表に立って取り上げられるのは太田のような現役アスリートで招致活動に携わるアンバサダーや、元アスリート、いわば華やかにバックボーンを持つ面々ではあったが、実際の現場で五輪招致に向け、いわゆるロビー活動等、深部に携わる活動をするチームの仕事ぶりを目の当たりにした。

まだまだ自分の立場ではわかっていないことのほうが多い、と前置きしながらも、その濃厚な日々はそれまでとはまた異なる、新たな刺激となった。

「国際社会で何かの規格をつくる。たとえば最近ならば脱炭素問題とか、グローバルレベルでものすごい駆け引きや交渉が行われています。それはすべて正攻法ばかりではなく、ではそれが悪いことかと言えばそうじゃない。

日本ではスポーツや五輪というのがすごくクリーンなものとして捉えられているので、そこに莫大なお金がかかると言うといいイメージを持たれないことも多いですが、世の中を動かすぐらいの決定事項に向けた交渉って、想像を絶するぐらい複雑で大きなことなんですよね。

それぐらいの現場に自分もいて、多少なりとも肌で感じて、見ることができ、僕の人生観にも大きな影響を与えてくれたのは間違いないです」

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