真序百人一首事始め

中国にも4行詩という伝統があるようで、並び替わったものは、4行詩が25個並んだものとみることもできますが、100首全体で大きな物語を構成しているようなので、むしろ壮大な100行詩として鑑賞するのがいいように感じられました。

そして、その100行詩が、前半のちょうど60首と後半の40首ではっきりと主題が違っていることに気づいて、更に驚かされることになります。

前半の60首(第1部)は、遠島にある天皇を想う歌群で、いにしえの天皇達の歌で始まり、その最後は承久の乱に敗れ、鎌倉幕府による配流はいるの憂き目に遭った、後鳥羽院、順徳院の歌で結ばれています。

また後半の40首(第2部)は、がらりと雰囲気が変わり、定家自身の歌も交えつつ、恋の歌、しのぶ恋をつづりつつ、定家が秘かに慕っていたと伝えられる式子内親王しきしないしんのうの歌で締めくくられています。

特に全体の構成という意識を持つことなく、歌内容の特徴をもとに並べ替えてみた結果としてこういう全体像が現れたことに、私自身が驚くということになったのです。

並べ替えたものを、100首通してご覧いただけば、理屈抜きに、すばらしい壮大な抒情詩であることが納得いただけると思います。

全編鑑賞を通して強く感じられたことは、「もう少し配列を変えた方がいいかも」という気持ちがまるで起こらないほど、何度見直し、鑑賞し尽くしても、ぴったりしすぎているということです。

あまりにも歌の順がぴったりしているので、定家は密かにこういう配列を意図したのではないかと強く感じてしまいます。当時の文献のような確たる証拠がない限り、学術的な観点からは、これが定家が意図した真の配列であると言い切ることはできません。

しかし、今般、全編鑑賞をまとめ終えた段階で、私としては、これが定家が密かに意図した真の配列であることに、強い確信を持つに至りました。ですからタイトルも、当初予定していた『新序小倉百人一首』とするのではなく、『秘められた真序小倉百人一首』として出版することとしました。

これが本当に定家が意図した真の配列なのかどうかについては、読後において、是非とも読者諸氏の判断も仰ぎたいと考えています。あなたも歴史探偵になったつもりで、1000年の歴史ミステリーの謎解きに挑戦してみてください。

本書あとがきにも、ヒントがありますので、その内容も参考にした上でじっくりと考えてみていただければと思います。

とにもかくにも、読者の方には、この並び変わったすばらしい長大な抒情詩を心ゆくまで味わっていただきたい。そして、暗唱して、繰り返し声に出して歌っていただき、そのすばらしさを十分に楽しんでいただきたいのです。

内容に自然な流れがあるので、当然覚えやすい、忘れにくいということもあります。このことは私自身でしっかり確認できています。

最後に、翻案した現代詩でもお楽しみいただけましたら幸いです。