床板がきしむ埃っぽい倉庫でのスタインウェイ探し─。稀有な生々しい体験となった。さらにアップライトピアノの倉庫も見学させてもらい、宇都宮で生まれた「イースタイン」など珍しい楽器にも出会った後、次の予定がある伊東さんとは別れた。

午後は伊東さんの紹介で、国内でのスタインウェイ販売の牙城とも言うべき呉羽楽器商会に向かう。伊東さんは、楽器店としてのピアノの扱い方に不満を感じているのか、二人が通う新高島ピアノサロンの話題にはあまり興味を示さず、「スタインウェイを選ばれるのなら呉羽楽器にいらっしゃい」と以前から勧めてくれていた。

和枝と廉にしてみても、値段の誘惑にかられて新高島ピアノサロンに決めてしまう前に、呉羽楽器商会の手掛けるスタインウェイは見ておくべきだろうという考えはあった。

日比谷公園向かいのビルの地下一階、ガラス扉を押すとB型、A型、O型と四~五台ずつ美しく並んだスタインウェイ群が迎え入れてくれた。さっきの「倉庫スタインウェイ」に出会った時とは別種の興奮を覚える。伊東さんの紹介で来た旨を告げ、誰もいない店内で和枝が次々試弾していく。思わずため息。

どれもこれもいいのだ。新高島ピアノサロンでも亜細亜ピアノでもあり得なかった経験。スタインウェイ社の広告コピーは「Inimitable Tone(比類なき音)」というものだが、まさにどれをとっても「比類なき音」なのである。

この店で選定したら間違いなく迷いは深まるだろう。でもそれは嬉しい迷いであって、ここでなら安心して選べるということが、和枝の試弾ではっきりした。ただ、説明に当たったのは高飛車で嫌な感じの店員。「売ってあげます」と言わんばかり。

「ここでは買ってあげたくないな」。ずっと親切に接してくれた新高島ピアノサロンの成田社長の顔がちらっと頭の中をよぎった。年内にB型中古の販売会があるという貴重な情報を得て帰ってきた。

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