『記憶の端』

今更傘を差し出したところで無意味なのはわかっていたが、とにかく雨から遠ざけなくてはと思った。

紗里は僕が来たことにも気づかず桜を見つめている。髪の毛から雫が止めどなく垂れて紗里の首筋へと流れていく。

それを見て僕は欲情した。こんな事態なのにこんなことを思ってしまう僕はどうかしているのだろうか? 僕から湧き出てきた動物的本能を懸命に抑えるように僕は紗里の両肩に手を置いた。紗里の肩は小刻みに震えていて熱を発しているのが服の上からでもわかった。僕は何もせず何も言わず隣に立っていることしかできなかったし、そうすべきだと思った。

桜の花びらが散らないように僕たちは桜の木を見守った。

二人にできることはそれしかなかったから。

その日僕たちは大学の講義すべてを捨てた。紗里の家の離れで服を脱ぎ、抱き合った。雨に打たれていたので二人の身体はどこもかしこも冷たく悲しかった。

紗里の肌は青白く、どんなに愛でても赤みが差すことはなく僕は寂しくなり泣き出してしまいそうだった。そんな僕の頭を紗里は優しく撫で僕を迎え入れる。一瞬、あの朝見た桜の花が見えた気がした。薄桃色の花びらが風に揺れている。柔らかな空気、青い空。

いくつもの蕾が開き始める。その度に可憐でいて濃厚な香が漂い僕の中心なるところを熱くさせた。

紗里の頬が上気する。

僕たちはもう寒くなんかなくなる。