はじめに

何で、今さら仏教なのか。

皆さんは、仏教なんて古いと思っていませんか。

実は、つい最近まで僕もそう思っていました。

現代は、脳科学、心理学、認知科学の時代であります。正直、宗教なんて過去の遺物だと思っていました。科学的知識が広まれば、必要のないもの、いつか捨て去られるものと考えていました。そして仏教も宗教の一つと思っていました。

そう、ゴータマ・ブッダの十二支縁起(じゅうにしえんぎ)を理解するまでは。

そもそも僕の興味は、「自己とは何か」「私とは何か」ということにありました。哲学的、心理学的な自己の探求から始まり、脳科学や認知科学の知識の取り込みを必要としてきました。

そんな中、日本語の「自己」という言葉の起源はいつなのか気になったのです。

そして道元の自己との出会いが、仏教との出会いであります。道元は言います。

 『仏道をならうというは、自己をならうなり。』

初めは、心を惹きつける言葉の奥深さに惚れてしまいましたが、そもそも仏教は自己探求から始まったものだということに気づかせてくれました。      

それ以前に何となく知っている仏教のイメージは、宇宙物理学や素粒子理論まで視野に入れた宗教というものでした。

けれど、そういったイメージは、諸行無常、諸法無我という言葉の解釈の誤解からもたらされた誤ったイメージであることが分かりました。

実際は、むしろ自己に特化した心理学であり、意識的な現象、心の中の現象に焦点を当てた心理学だということであります。

自己というものについて、とことん問い詰めたのが仏教です。

つまり、自己心理学としての仏教というイメージが浮かび上がってきました。

「な〜んだ、自分の求めているものと同じじゃないか」

そんな訳で仏教について少しずつ学んでみたのですが、仏教に素人の僕にはとても歯が立ちません。