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じいじになった私

♪音楽♪って何?

その歌手たちの曲も好きになり、よく歌っていた。また、中学二年の時には、東京オリンピックもあり、多くの感動もさせられた。この時のファンファーレや選手団の入場行進曲も聴いていて、とても気持ちの良いものであり心に響いた。

この音楽好きは、遺伝的なところもあると思うが、兄弟の殆どが、その胎教を受けたため、歌を歌っても調子を乱すような一般的に言う音痴ではなかったように記憶している。結婚してからは、子供たちも連れて家族全員でカラオケによく行っていた。

カラオケでは、「橋幸夫」に始まり、「橋幸夫」で終わる。何が好きかというと、まず声に大惚れし、角刈りの着流しで歌う姿は、イナセで格好良く他の追随を許さないものであった。今でも母親譲りの音楽観の魂柱に、しっかりと刻み込まれている。

ただ、結婚前だったが、弟がアパートにギターを持ってきて、フォークソングをよく歌ってくれた。そのことで、自分の興味心が擽(くすぐ)られ、瞬間移動のように楽器店に走りギターを買い求めた。そして、仕事から帰り西日のスポットライトをタップリ浴びる夏には、獄暑の四畳半アパートで猛練習の日々を送った。

最初は、まずコード(Am・Dm等の和音)を覚えなければ弾き語りにならないために、難しい指使いもあったが、とにかく「弾き語り」に向かって一心不乱に特訓した。指先にマメもできたが一切構わず、懸命に専念し続けた。そのかいもあって、それなりにうまくなり、音楽雑誌を何冊も買い、弾き語りを毎晩続行した。

さすがにこの時には、「橋幸夫」の出番はなくなり、この一時期は封印させてしまった。とにかくコードを覚えてしまうと、弾けるようになることで面白くなり、「橋幸夫」どころではなくなっていた。

そして、簡単コードの『山谷ブルース』や『四季の歌』『旅の宿』などを歌い出し、少しずつでもできるようになると、レパートリー(と言えるかどうか)も増えだし、さらに拍車がかかり面白くなっていく。

揚げ句は、弟の結婚式で、とても人前で披露するようなものでなく、あくまでも西日育ちの四畳半ギターであったが、弟から頼まれたこともあり「♪飲めと言われて~…♪」拝借転用し「♪やれと言われてその気になった♪」の文句通りに、やってしまった。

ちなみにこの時は『関白宣言』であった。この行為は、恥を恥とも知らない若さだけで突っ走り、最初で最後の檜舞台となった。この時の写真を久しぶりに見たが、非常に羨ましいところが一つ、それは髪の毛だった。