【前回の記事を読む】早くに母を失った閔損は、義母にいじめられていた。それに気付いた父は別れようとするが…

第一章

支那史(しなし)

13晋書(しんじょ)(晋書八十八・列傳巻(れつでんかん)第五十八・李密(りみつ))

【13】「李密」

晋の時代(西暦200年頃)の頃のお話です。

晋の李密は父を早くに亡くしました。母もまた、何氏(かし)の名を改め他に嫁いでいきました。

密の年齢が、まだ数歳の頃でした。密の両親を恋しく思う気持ちは益々強くなっていきました。

そして、ついには病気になってしまいます。

それから祖母の劉氏(りゅうし)が自ら可愛がり、育てていきました。

その後、密は祖母に対して孝行を尽くして接し、その孝行が世間にも広まっていきました。

劉氏が病気になれば、側で涙を流しながら寄り添い、病気が治るまで自分の衣服を着替えることも忘れるほどでした。

密は食事を用意し、薬のお湯を飲ませ、まずは必ず味見をしてから祖母に勧めました。

そんな中、時間があれば勉強をして、全く疲れることがありません。

泰始(たいし)(西暦270年位)の初め頃、密は国から呼ばれ太子洗馬(たいしせんば)という役職に就くように勧められました。

しかし、その時の祖母(の年齢は、高齢で密以外に面倒を看る人がいなかったので、国の役職に就くことはありませんでした。

その時、皇帝に対して「陳情表」を上(たてまつ)りました。

その文は、こう伝えています。

『劉(りゅう)の日(命)も西山に沈むようで気力も息も絶えようとしています。人の命は、全く危ういものです。そのため、朝から夕まで他のことを深く考えることができません。今の私があるのは祖母が側にいてくれ、育ててくれたお陰です。

祖母の側に私がいなければ、残りの時間を無事に送ることができません。祖母と孫の二人、お互いに命を繋いできました。

このような私の気持ちに区切りをつけ、祖母を置いて遠くに行くことはできません。私は四十四歳、祖母は九十六歳。私が陛下に対して忠節を尽くすことができる月日は長くありますが、祖母を養う月日は短く限りがあります。鳥のような小さな私の感情ですが、どうか最後まで養い孝行することができるようお願いします』

帝は、この文を見て言います。

「噂の通りの人だ。全く気持ちに偽りがないようだ」

それから帝は密を呼び寄せることを止めて、召使いを二人遣わせて、郡県(ぐんけん)に対して祖母を養うよう命じました。