その時にはじめて、あの時間を作りだすのがどれほど大変だったか、あの日どんなに疲れていたのか、どれだけ大変な状況の中であの一日を過ごしたのか、気づいた。だからママちゃんが倒れた時思ったのだ。今度は私が支えてあげなければと。それからもう十四年になる。

太陽がまぶしい。私は砂浜を歩きはじめた。波のそばまで行ってみる。ママちゃんは八か月入院した。医者には三分の一は命を落とし、三分の一は後遺症が残り、三分の一は助かります、と言われた。その三分の一の後遺症が残るに入り、ママちゃんは高次脳機能障害という認知障害を持って復活した。

それからママちゃんはぐんぐん良くなり、私はぐんぐん強くなった。精神的なふさぎこみからも立ち直り、いや、立ち直らざるを得ず、何年かママちゃんの介護に専念をした後、お金のために働きもした。老人ホームで働いた日々は公私ともに驚きの連続であったが、楽しくもあった。新しい友人もできた。

そして今、経済的に少し余裕もでき、自分のための時間が欲しくなり、仕事を辞めた。すべて自分で決めたことだ。それなのに。ママちゃんはかわいい。無邪気なのだ。悪意がない。悪意なく私に一生をゆだねてくる。重いのだ。重いといえばそこまでなのだが、苦しくなるのだ。けれど倒れるほどまで働いたママちゃん。

多分、その精神的なストレスの一つにその時の私の存在もあったであろうと思うと、ママちゃんが今元気でいる、笑顔でいる、そのことには心から感謝している。