むじなはプシプシプシと足音を立てて私たちの愛の部屋カトマンザにやってきた。

第一章 新たな訪問者トリッパー

カトマンザ

薄闇の中を一匹のたぬきが歩いている。むじなと呼ばれるそのたぬきは平坦な砂丘のような景色の中を、遠くに見える光を目指して黙々と歩き続けていた。それは夕暮れに家の窓にともる明かりのような暖かな色の光で、訪問者トリッパー愛の部屋カトマンザを見つけるための最大の手懸かりとなる。

愛の部屋カトマンザ、この不可思議な空間をひとことで説明するなら〝心のどこかに存在するもう一つの現実〟というのが妥当だろうか。誰もが記憶の中に描き持っている心象風景、懐かしさをともなって呼び起こされる幼い頃の思い出の奥にカトマンザの入り口はある。 

月も太陽もない虚無の世界で闇の彼方に小さな光を見つけたら、そこに向かって歩いていくとやがて建物の壁らしきものが見えてくる。外形は闇にまぎれてわからないが(もし形があるならばだが)土壁には重厚そうな木のドアがまっていてその上に、何か明るく光るものがある。それは壁に付いた猫の耳のような一対の耳で、遥か遠くの闇に向けて煌々こうこうと光を放っている。

中に入るとそこは、闇と土壁が取り巻くひっそりとした空間で、窓はなく、ほの暗い広間の真ん中に置かれた緑色の大きなソファを巨大な円盤型蛍光灯の青白い光が照らし出している。待ち受けるのは心優しい住人たちと風変わりなキャラクターたちだ。

仕組みや構造が現実の世界とは異なるカトマンザ。朝は短く昼はない、カトマンザの大半が夜なのだ。その長い夜は自分の本心とじっくり向き合えるだけの充分な容量キャパシティーを持っている。

カトマンザの住人ナンシー、長くしなやかな栗毛の髪にフォレストグリーンの瞳を持つ彼女は毎朝おいしいパンを焼き、格別な味のスープを作る。木彫りの人形を抱えた小さな男の子はベイビーフィール、彼もカトマンザの住人の一人だ。言葉は喋れないがみんなの言っていることは理解する。

深い闇の奥にいるカプリスもまたカトマンザの住人だ。ただ彼に会うことはできない。声だけのカプリス、決して姿を見せないカプリス。だがカトマンザのすべてが彼という圧倒的な存在によって守られていることは確かだ。

全身を包帯で巻かれた包帯男ラッキーはカトマンザにやってきた最初の訪問者トリッパーだ。ラッキーはほぼ一日中ハンモックの上でギターを弾きながら「宙吊りの歌」を歌っている。彼には吃音きつおんがあり、喋る時スムーズに言葉が出てこない。そんな彼がなぜだか歌う時だけはとてもスムーズなのだ。そしてその歌声は最高に快適カンファタブリィだ。

カナデは二人目のトリッパーで、ちょっとものげな九歳の女の子。シルクのような金髪を束にして頭の上にのせている。ブードゥーが日課で今もその儀式の最中、祭壇に見立てた壁のくぼみにキャンドルを幾つも灯して宇宙の神々に祈りを捧げるのだ。

ベイビーフィールが自分の部屋を出たり入ったりしている。カプリスは新たなトリッパーが近づいてくる気配を感じて昨夜から音沙汰がない。ナンシーはひときわ明るさを増したレグナのそばで狢の到着を待っていた。 

レグナというのはカトマンザの土壁から生えている紅茶色の毛におおわれた一対の耳で、トリッパーがこちらへ近づいてくるのを感知すると光を発して知らせてくれる、いわばカトマンザのセンサーライトだ。同時にその耳は壁の外側でもまばゆく光り、来る者たちにカトマンザの場所を示している。すなわちこのレグナの光こそが暗がりを歩いてくるトリッパーを導く糸口光クルー・ライトなのだ。