第1章 渚にて

それは2011年10月の終わり頃、私が共同設立した神経免疫研究所から解雇された後、拘置所にぶち込まれる迄の間の頃で、カリフォルニア、オックスナードのハーバー通りの横マクグラス州立公園内の砂丘内を自転車で通過していたときのことだった。

南カリフォルニアの美しい景色を思い浮かべてほしい。青い太平洋に白い波頭が見え、秋の心地よい風と浜辺、それに公園で子どもたちに凧揚げさせる親たちなど、このコースを通るのが好きな理由がよく分かっていただけると思う。

その日はPBヨットクラブに通じる小運河に面する自宅(ボートを係留している)から自転車で出たところだった。私はこのヨットクラブのメンバーで在宅のお年寄りを世話する組織で介護に携わる人たちを支援する募金集めを目的とするヨット競技会を毎年計画していた。

人通りの少ないマクグラス州立公園近くを自転車で行く私はどのように見えたのだろうか? 当時私は背丈は5.4フィート(165センチ)、体重は 140ポンド(63キロ)で50歳代なかばだった。オレンジ色のヘルメット、明るいバイク用ウェアーを着て青色の自転車に乗っておれば、大勢の人に埋もれて、多分目立たなかったはずだと思う。

失職したばかりで、学界で議論が紛糾するなか、当事者であった私はあまり心配していなかった。

当時私は政府から年間150万から200万ドルの補助金が与えられる研究の筆頭研究員で、どの大学で研究するか決める権利も与えられていた。その面接で希望してきたのは、カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、カリフォルニア州立大学、チャネルアイランド大学であり、更にはニューヨーク市のマウントシナイメディカルセンターでデレク・エンランダー博士との共同研究の話まであった。

私たち夫婦は3つの家を持ち、車も数台所有し、ボートも所有し貯蓄もあった。夫はある有名な病院で長年人事の管理職として働いたため、年金にも恵まれていた。

私が共同設立した研究所はネバダ大学レノ校内にあった。