遠い夢の向こうのママ 毒親の虐待と夫のDVを越えて

同じ頃、ある時宿題が多く、いつもより夜遅くまで起きていた。

翌朝起きると天井がぐるぐる回って、起き上がってもまともに歩けなかった。

階段を降りようにも手すりにしがみついて一段ずつお尻で降りる始末だった。

めまいを起こしていたのだ。

めまいという単語も知らない歳からめまいを起こすようになり、それ以後もたまにめまいを起こしていた。

私の中では「私はたまに天井がぐるぐるする」という程度の認識だった。

そして小学校高学年になると、友達の家に遊びに行くようになっていた。

普通の家庭の子供なら近くの学校に行き、お友達の家に行くのは日常茶飯事だったと思うが、私は学校までバスで1時間と遠く、学校から家が近い友達が多かったので、友達の家に遊びに行く許可が高学年になってやっと下りた、という感じだった。

すると、そこで目にした光景は私にとってとても衝撃だった。

その光景とは友達が、お父さんやお母さんに、なんのためらいもなく、思ったことをポンポンと話しているのだ。

私にはありえない光景だった。

なぜなら、私の家だと話すこと、タイミング、顔色をうかがって話さないと、一瞬で大喧嘩になるからだ。

なので、友達とその親御さん達との仲良さは本当に衝撃で、ある意味大きなカルチャーショックだった。

そして友達との話でわかったことがあった。

それはお年玉のことだった。

みんなは親からも親戚からもお年玉をもらっていて、それを自由に自分で使っていた。

でも私はお父さんやお母さんから一度もお年玉をもらったこともなく、親戚からもらったお年玉も全てお母さんに渡していた。

私は預けていて大人になったら返してもらうつもりだったが、結局そのお年玉は返してはもらえなかった。

この頃からお友達の家と自分の家との違いを少しずつ認識していったように思う。

新田家ではお父さんが厳しく絶対だったので、お母さんと喧嘩すると二言目には「お父さんに言いつけるからね!」だった。

そして帰ってきたお母さんがお父さんに報告し、お父さんからお説教されたりしていた。

でも普段の喧嘩よりはるかにひどい喧嘩をした日の夜は「今日はお父さんからどれだけ怒られるだろう」と怯えていると、逆にとても穏やかで冷静なお父さんが静かにそっと部屋に入ってきて「かおる、あまりお母さんを困らせることするなよ、な」と優しく言って出ていくこともあり、それがとても不思議だった。

なぜそんな違いがあるのかその時は全く理解できなかった。