人格的・創造的素養を兼ね備えた人間性の育みは、乳幼児(0~2歳)期からの計画的営み(育み)がなければ決して実現できないことです。家庭における育み・幼稚園や学校における教育(学び)・社会全体における生き方の指針などが共振(共通の当為の目標を目指していること)していく必要があります。

具体的なことについては、p79の「6 年齢段階ごとの精神的発達課題」のところで詳しく述べていくことにしますが、前提条件としてまず、人間社会全体が「モノの豊かさ至上主義」の悪夢から目覚めることが大事なのではないでしょうか。

計り知れない可能性を秘めた人間の精神的いのちの構築には、それ相応の確かな土台が必要となります。しかも、この土台作りには、最もふさわしい頃合い・最も望ましい環境というものがあります。

人間の精神的いのちの土台作りは、「三つ子の魂百まで」と言われるように、理屈で物事を考えるような年齢に達しないうちから手がけることが大事です。そして、無能状態で生まれてくる赤ちゃんの育つ最も望ましい環境とは「母親の懐」です。理屈抜きの愛情いっぱいの母親の懐です。どんな環境下でも、うまくやりさえすれば知的に優れた人間は育てられます。しかし、本性としての情味豊かな人間性の育成は、温もりに満ちた母性愛の力添えなくしては期待できないのです。

ほかを思いやる信愛の情は、物心つかないうちに意識下に蓄積された「愛の源泉」から湧き出てくるものです。この、無意識下の「愛の源泉」とはいったい何でしょうか。どこから生まれてくるものなのでしょうか。ここが子育てつまり、人間の育ちのキーポイントになります。

その答えは、「三つ子の魂百まで」の格言の中に秘められています。わたしたちは、幼い頃の経験をよく覚えていないものです。無意識脳(最近になって無意識脳とは、ニューロン系の記憶領域ではなく、グリア細胞系の記憶領域ではないかという研究が進んでいます)に秘められた情報は思い出せないということです。思い出せないけれども、これが意識下でわたしたちのものの考え方や行動の原動力を成しているということです。

人間が、もし口絵に見るレベルⒶの反射的・調節的作用や、レベルⒷの本能的・情動的行動及びレベルⒸの知識技術的・適応的行動だけで生きていく生きものだとするならば、ハートフルでハーモニックなspirituality(精神性)の養育などいらないことでしょう。子供は生みっぱなしで、人材育成会社か何かに預けておいて、親は働きに行けばよいのです。

しかし人間の授かった精神的いのちは、ただお金を稼いで安楽にうまく生きていけさえすればよいという授かりものではないのです。人間という字は「人の間」と書きます。わたしたち人間は、「人と人の間」・「世の中」をどう紡いで生き合ってゆくかという命題を担って生かされているのです。

義理でもなく理屈でもない、本当の温かい人間関係を紡いでいくためには、いのちの根底にしっかりとした本性としての人間愛の下地(乳幼児期に母親の懐で培われる)が満たされていなければならないのです。人間の精神的いのちは、創られてゆくいのちであり、正しく創られなければならないいのちなのです。

具体的なことについては、「年齢段階ごとの精神的発達課題(p79)」のところで述べていくことにします。