郁子の義務教育は完全に通信だったが、高校からは出席しなければならない授業も増えた。それが今となっては、他人と交わる機会も以前とは比べ物にならないほど増えていた。そこに郁子自身の成長も加わり、誰かの感情の直撃を食らうことは稀といえた。

とはいえ、それが身近な人間がこれほどまでに苦しむ姿となると、身に付けたはずのものでは歯が立たなかった。気力ばかりが奪われるのではない。毎度突きつけられる無力感に損なわれるのがどれほどのものか、当の郁子でさえも甘く見ていたのかもしれない。

郁子が他人の感情に聡いのは生まれつきで、物心つく頃には既に自覚があった。そして自分だけが特別だと知ったのは、もう少し年齢が上がってからだった。

感情に抑制のきかない者も多い義務教育課程までは、郁子は学校に通うことを諦めるしかなかった。

そのような子どもが世間を知る術といえば、インターネットやテレビが現実的かもしれない。けれども、郁子にはそれすらも刺激が強すぎて、父母がこれは妥当と判断して持ち帰る書籍にこのことを頼るしかなかった。

当時、郁子は自分が他の子どもたちと違うと、認識できずにいた。周りがやんわりと言ったところで自分だけが学校に通えないことに納得が行くはずもなく、郁子は同じ年頃の子どもとの交流に飢えるばかりだった。

だからこそ、自分と比べれば随分と大人に思える六つ年上の亜希子の持ち帰る情報は、たとえそれが郁子の年齢に見合わないものだったとしても興味や関心の尽きないものだった。

幼少時の郁子は亜希子を玄関で待ち構えていては、金魚の糞のようについて回るような毎日を過ごしていた。自分が如何に無力かを思い知らされたのも、亜希子を通してのことだった。

亜希子が論理的思考の持ち主だったことが幸いしたのだろう。その感情に引きずられることのなかった郁子も、亜希子の思春期の頃となると状況が一転した。

【前回の記事を読む】【小説】「なんと対照的」...喧嘩が止まらない成人済みの姉妹