第二章

現代のインドにおいて日本人が決して忘れてはならない人物の一人は、極東国際軍事裁判(東京裁判)のインド代表判事をつとめたラダビノード・パール博士(1886年―1967年)である。

博士は東京裁判の判決書の中で、大東亜戦争における日米交渉について、結論として、次のように述べている。

「……証拠は、日本はアメリカとのあらゆる衝突を避けるために最大の努力を行ったこと、しかし、徐々に展開して行った事情により日本が採った致命的な措置へと日本は追いやられたことを本官に納得させている。(都築陽太郎訳)」

昭和23年東京裁判は終わった。その後再度来日された博士は歓迎会の席上、ある日本人が「同情ある判決をいただいて感謝にたえない」と挨拶したところ、ただちに発言を求め、「真実を真実と認め……私の信ずる正しい法を適用したにすぎない。」と述べたそうである。

法の尊厳を守ったにすぎないというのである。

令和4年2月、ロシア軍がウクライナに侵攻した。これは単に東欧の小国で起きた危機ではない。公然と開始されたヨーロッパへの侵略なのだ。力による領土の拡大という欲望は、法と正義のかけらもないといわれている。アジアでは、全体主義によって、同様のことが既に行われている。

パール博士の理念は、21世紀の今、いよいよ金剛石のような光を放ち始めた、といえないであろうか。