私はよく〈さとさん〉のお手伝いをしたものです。たとえば食事作りから始まり、障子張りだったり、布団の綿入れだったりと、昔はすべて今の様に便利ではなかったので、主婦の仕事は盛沢山でした。

又明治生まれの人だった為、季節ごとの行事は、しっかりとやっていました。たとえば暮れは、臼で餅つきをして、玄関にはお正月のお花をしっかり飾り、お飾りは玄関の他、台所の出入り口、物置にも飾り、仏壇、神棚に鏡餅を飾っていました。

一月の鏡餅を割る頃には、今でも土地によっては行われているどんど焼き(地方によってはどんどん焼きとも言う)というのがあり、又上新粉で三色に色づけしただんごを作っていました。近年はどんど焼きも場所の確保が難しく、行われている所が少なくなってしまい、とても残念に思います。

どんど焼きというのは、近所の空き地を利用して、三色のだんごをアルミ箔で包み、木の棒に刺して、お正月のお飾りをはじめ、破魔矢とかだるまや書初め、お守りなどで覆われた火の中に突っ込んで食べると、一年が無病息災、五穀豊穣、家内安全、子授け、子孫繁栄、厄払いになるとか、その様な願いを込めて、行われる火祭りの行事なのです。

又歳神様を、空にお送りするという意味もあるそうです。この小正月と言われる一月一五日の朝には、小豆粥を食べます。この時に家の中には、宝船とか草履、小さい紅白の丸餅など、やなぎの木の枝に飾ったものでした。

これは地方により異なるのかもしれないのですが、よく手伝って作りました。大人になってから「何という餅なのだろうか」と調べたところ「餅花」又は「まゆ玉」と言い、稲の花を表し、豊作を願って作られ、始まりは江戸時代位からあったそうです。この「餅花」で飾った餅を焼いて食べ、又みそ汁の中などに入れて食べると、一年間無病息災でいられるとか。

又三月にはお雛様を飾り、赤紅、ヨモギなど三色で作った菱餅を作り、甘酒と共に飾っていました。昔はこの赤い餅はくちなしの実で、白餅はヒシの実、緑の餅はヨモギにより着色されていたそうです。そしてそれぞれの色にも意味があり、主に魔除け、子孫繁栄、健康など女の子の成長と健康を祈ったものだったのです。

我が家には、男の子がいなかったので、五月の節句はやりませんでしたが、国民の祝日には、毎年必ず日の丸の国旗を玄関に飾っていました。

八月のお盆には、素麺を仏壇に供え、庭の隅にキュウリと茄子の精霊馬を作って飾り、迎え火、送り火をしていました。九月にはお月見でお団子を作り、廊下にお団子と共にススキも飾っていました。

今思うと明治生まれの祖母と生活していたから、色々な事を体験し、昔ながらの風習を教えてもらったのだと思うと、幸せ者でした。昔からの風習は、私達に何かを教えてくれている様で、後世に残していきたいものだと思います。