ですから正直に言って、今回の異動の真の意味が判明するまで実に七年もの間、久美子という極上の獲物に手を出さなかったのは幸いだったと、役員室を出る際に胸をなでおろしたものです。仕事では優秀な男たちが、女性問題で失脚していった例を、私はこれでもかというほど見てきました。堕ちてしまえば何もかも失うと知りつつ、いったん踏み込んだら蟻あり地獄のようにからめとられ後戻りできなくなってしまう、色恋の魔物たるゆえんなのでしょう。

だからこそ私は自らを厳しく律してきました。確かに久美子は素晴らしい女です。しかし地位と権力をつかみさえすれば、久美子と同等か、それ以上の女を手に入れることだって可能なはずだとどこかで踏んでいたのでしょう。私には「欲」があった。不本意だった異動の真相を知る前は、東京近郊とはいえ聞いたこともない地方の田舎に赴くことに拒絶反応に近いものを感じていたのですが、この経験も前途洋々たる未来の一つの布石なのだと思えば、たとえ一年間の滞在でも、その地でひと花咲かせてやるかという意欲が湧いてきました。

三十二歳まで独身を貫いてきた私の荷造りはごく簡単なものでした。ほとんどの時間を会社で過ごし、読書以外に主だった趣味もなかったので、大量の蔵書だけ宅配業者に頼み、引っ越し業者を使うことなく、軽トラックを借りてⅠ県にある赴任地まで自力で移動することにしたのです。

新しい住まいは現地の借り上げ社宅でした。社内規則では独身者は借りられないことになっていましたが、佐川常務が口を利いてくれ、ちょうど空きのあった一軒家を社宅としてうまい具合に貸してもらえることになったのです。

築六十年の古めかしい平屋でしたが、庭付きの広々とした佇まいはこれから始まる新生活にはなぜかふさわしい構えに思えました。ふすまを外せばキッチンを含めて日本間三部屋が続く昔ながらの造りが、東京のマンションでフローリングの生活に慣れた身には新鮮にも感じられたのです。

こういう暮らしも期間限定ならいいかもしれない……一年後に本社に戻れるという確約を得た安堵感からか、私はそんなことまで感じるようになっていました。夏の終わりという季節感もさらにその家の風情を奥深いものにしていたと思います。朝は野鳥のさえずりで目覚め、夜は庭から聞こえる賑やかな虫たちの演奏が忘れていた日本の自然と四季の移り変わりを思い出させてくれました。

引っ越し前に行きつけの古道具屋で偶然見つけた年代物の文机(ふづくえ)を日本間に置き、座布団に座って読書にふけるのも楽しみになりました。ここに来るまでは仕事と付き合いに明け暮れて、自宅マンションには寝に帰るだけという生活で、好きな本を読む時間が全く取れなかったのです。