この学校に来て十日たった平日の午後、一つの事件が起きた。一人の男子生徒がライターを持っていたことがわかり、退学になってしまったのだ。

「えっ、どうして。」と思った。

「そんなことで退学になっちゃうの。」とぼそっと言ったが、校長先生は何も言わなかった。

その子は、授業でよく発言してくれ、面白いことを言っては場を盛り上げ、休み時間や放課後もよく話をしてくれた子だった。彼は、突然いなくなってしまった。その後、ゲストハウスで何日か落ち込んでいた。

「彼は、なんでライターを持っていたのだろう。」

「なんで見つかってしまったのだろう。」

「なんでそんなことで退学になってしまったのだろう。」

そんな疑問が頭の中を幾度も駆け巡った。この出来事は、アメリカに来て、最初に受けたとてつもない重い衝撃となった。

学校の授業では、日本語のあいさつから始まって、日本語の字の紹介をした。まず「ひらがな」を紹介し、次に「カタカナ」、そして最後に「漢字」を紹介すると、「ワ~オ。」と多くの子どもたちが感動していた。

「あなたはなんでこんな字が書けるの。」と子どもたちから質問された。

「小さいときから練習するんだよ。」と言うと、「信じられない。」という言葉をを何度も連発していた。

日本人にとっては当たり前のことが、彼らにとっては信じられないことだったのだろう。「習字」を教えると、彼らは、漢字の見本を見ながら、その漢字を書いている自分自身に、「信じられない。」をまた連発していた。面白すぎて、笑いが止まらなかった。

またあるとき、日本の食事を体験する授業で、ご飯を炊いて、「さばの水煮」の缶詰を出して食べてもらった。そして、あの匂いの独特さに、「ヤッキィー、ヤッキィー。」と言って、残す子もいた。「残すのは失礼だ。」と思ったのか、我慢して最後まで食べていた子もいた。それぞれの反応にまた笑いが止まらなかった。

別の授業では、新聞紙で「兜」を作って見せた。それを見ていた子どもたちは、その手の動きと出来上がっていく兜の形に驚き、「自分たちで作りたい。」と、こちらが言う前に子どもたちから提案してきた。

「さすがアメリカっ子だ。」と思った。紙を折って何かを作るという習慣があまりないのだろうか。みんなで作った「兜」をかぶって、教室で記念写真を撮った。いつも静かな、厳かな雰囲気の中で授業を進める牧師の先生たちにとって、「なんてうるさい授業なんだ」と思われていたにちがいない。