福井へ行く電車は色々ある。私は新幹線で金沢に行き、そこから行くことに決めた。

7年前に健一さんのお父さんのお葬式に行ったきりだ。福井は海沿いの細長い県である。山には永平寺がある。冬の寒さは尋常ではなく、山間の永平寺は雪も深く、想像するだけでも身震いが起きる。夏はこれまた暑いが小浜は海風で過ごしやすい。貴子さんが駅まで迎えに来てくれた。

子供達はもう小学生と中学生で、やっと自由時間が増えたと言っている。健一さんはまだ帰ってなかった。夕食の前にお風呂をいただいて、浴衣に着替えた。

この家は母の生まれた家。祖父は曽祖父から受け継いだ町の写真館を経営していた。今でも古いカメラなどがある。祖父は、私の母が亡くなって半年後に肺炎であっけなく亡くなった。祖母は農家から嫁に来て、焼き物の下絵描きの仕事をしていたが、彼女もすでにこの世にはいない。母の兄は農協で働きながら農家の手伝いをしていたが、7年前に70歳で交通事故で亡くなった。奥さんは痴呆症で施設に入っている。瓦葺きの古民家とでも言えるこの家の台所はモダンに改良されていて、オーブンまである。

貴子さんはお料理が上手だ。近所の人を招いてケーキなどの作り方を教えたりしている。姪の真理子ちゃんと健太君がお腹すいたと言っているが健一さんはまだ帰らない。

「もう7時になるけど、いつもこうなの?」

と私が聞いた時、電話があり、夕食は外で済ますからということだった。お刺身をつまみながら私が福井の名酒を楽しんでいる内に、子供達はご馳走様を叫んで、部屋へ戻っていった。

「東京は何でも手に入るから最近はあまり料理をする人はいないのよ」

と私が言うと、貴子さんも、こちらもそうよ、と相槌を打つ。それでも彼女は色々と美味しいものを食卓に並べてくれ、私は歓声をあげた。彼女と私は同い年。

「福井の日本酒は日本一だと思わない?」

と私が言うと、彼女はそうかなあ、わからんわ、と言った。

【前回の記事を読む】卵を割れない女性料理人が胸に抱えた「堪えがたいこと」