はじめに

「お前はサムライの子だ」

ボクはタイのバンコク生まれでプーケット育ち、どうやらサムライらしい。父は日本人、母はタイ最北端チェンライの山岳少数民族アカ族、ボクは日本でいうところのハーフというやつだ。

「どうやらサムライ」というのは、そのサムライというものを自分自身、未だはかりかねているからに他ならない。しかしながら自分が20歳を迎えたあの日、それまではかつて予想だにしなかったある出来事があり、世界が解き放たれたようだった、いや、自分の人生はあの日あのとき、たしかに一変した。少なくとも自分の中では。

それもこれも何もかもが、ありとあらゆる原因はこの日本人の父にある。まず、尋常な人ではない。ボクはこの父に対して物心が付いた時点ですでに強烈な畏怖感があり、大嫌いでもあり、大好きでもあった。そして、その掴みどころのない証拠に父が結局は何の仕事をしているのかもよくわからない。それでいていつも豪語しているのは自らをもってサムライとしていることだ。

タイのアカ族はタイ人であってタイ人ではない。正確に言うとアカ人とでも言えるのだろう。ボクは母がアカ族の人と話す言葉、すなわちアカ語を理解できない。アカ族の人たちがタイのIDをもらえるようになったのも、ここ数十年のことであると聞く。

母が出身のアカ族の山村は、未だに電気が通っていない。いまでも時おり物々交換(米と豚を交換など)をするときもあるらしく、とにかく自分にとっても故郷となる母方の実家はそのような辺境の地だ。そんな環境で育ったからか、母はどこかピュアで優しい。

ボクが小学校(スクール)に入るタイミングで一家は、バンコクのコンクリートジャングルからプーケットに移住した。あとから聞いたところによると、緑と海を求めてのことであったらしい。家族は皆仲が良いほうで、両親の所謂夫婦喧嘩は見たことがないし、兄弟間も友達のような感覚というのがわかりやすいかもしれない。家族構成は変人で絶対的な父と、アカ族の優しい母、ボク、妹、それから黒人の弟が一人、の5人家族だ。

序章 サムライ合宿と変人ポーの教え

変人ポー

タイ語で父さんは「ポー」と呼ぶ。本書ではこの父さんのことを愛着と尊敬を込めて「変人ポー」と呼ぶことにしよう。この変人ポーにはいくつかの口ぐせがあった。

「卑怯な真似だけはするな」

「筋を通せ」

「できないと言う代わりに考えろ」

中でもこれらのセリフはそれこそ耳にタコができるくらいに言われたものだ。タコなのでもはやそれを言われても何とも感じないくらい当たり前のことになっていて、それは感覚がある意味麻痺していたと言っても良いほどであった。変人ポー曰く、サムライがもっとも忌み嫌うことは”卑怯なこと”であるらしく卑怯なことに関しては極めて徹底的に叱られた。