例えば、悪いことをして謝らない場合、変人ポーの「詰め」は外でも、例え人前であっても変わらない。これだけでは普通の家庭教育のように思われるかもしれないが、この辺りからも変人ポーのそれは徹底していた。

具体例としては、遊園地ではしゃいでいて他の子とぶつかったとき、相手の子もボク自身も痛くて泣いたもんだが「自分から(も)ぶつかった」として変人ポーはその相手の子に対して「謝れ」と言う。しかしながら当時のボクは痛くてそれどころではない。その痛みのままに泣いていると、胸ぐらを掴まれて「悪いことしたら謝れっつってんだろうが、この野郎!」と顔を、鼻と鼻とがくっ付くくらいに近付いてきて驚くほど大声で怒鳴られる。ボクは痛みに増してその変人ポーの怒りにびっくりしてさらに泣く、という始末。

変人ポーはこんなことも言っていた。

「痛い、痛くないは関係ない。いいか? 悪いことをしてしまうのはしょうがない、お前はまだ子どもなんだから。ただ、悪いことをしてしまったらまず謝ることだ。それが、筋を通すということになる。筋を通さないと卑怯者になってしまうよ。お前はサムライの子なんだから、卑怯者にだけはなってくれるな」

物心付いた頃から覚えている言われ方はこのような調子であった。すでに書いたように、変人ポーは必ずと言って良いほど、叱るときにはなぜ叱るのか、なぜそれがいけないことなのかをいちいち説明してくれた。だから、決して自分のことを嫌いで怒っているのではなく、あるいは感情で怒っていないことも、当時からボクはなんとなくわかっていた。

その証拠に、ことが済めば何事もなかったかのようにケロッとしていて決してあとに引くことがない。胸ぐらを掴まれて怒鳴られたり、ときには殴られたり、人前でも容赦なく蹴られたりしてそのときはたしかに「嫌い!」とはなる。とりわけタイは子どもに優しいお国柄なので周りから見れば異常であったのだろう、他人が変人ポーを止めに入る場面などは何度もあった(それでも止まることはなかったけど!)。

しかしながら、良い意味での説教を変人ポーなりにわかりやすく、都度話してくれるので結局、ボクはこの変人ポーのことを嫌いにはなれなかった。

変人ポーの変人であるが所以の一つに、その格好があるのかもしれない。(というか、変人とはボクが勝手に言っているだけなのだが)格好が甚平なのだ。いつでも。

例えば(何の仕事かわからないが)会社に行ってくる、というときも甚平だし、たまにスクールに迎えに来るときも甚平、ホテルディナーに行くときも甚平だし、日本からゲストが来るときも甚平。日本に行くときも夏場は甚平だし、冬になればそれが作務衣に変わるだけだ。

余談までに「サムライに行ってくる」なんて甚平で出かけるときもある。アカ族母さんに聞くと、どうやらサムライのミーティングがあるらしい。なんだ、そのサムライのミーティングって! もっとも、ボクにとってはこれも物心付いたときから変人ポーの格好は甚平でしかないので、途中まで違和感はなかったんだけれども。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『変人ポーの人間力』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。