ところが子どもが初めて嘘をついたとき、喜ぶ親はいないでしょう。じつは、嘘をつく能力は親から離れていく能力に関係しています。

「だませる」という思いは、親は何でもお見通しではなく、完璧な存在ではないということがわかってくることに意味があります。親に対する不全感をもつことが自立を促すエネルギーになるからです。

何もかも見通せる完璧な親なんていないでしょうが、もし何もかもお見通しで、どんなときにも頼りになる親であったとすれば、そこから離れていくためには相当な覚悟が必要になるでしょう。いつまでも頼っていても仕方ないという思いが子どもに自立の方向性とエネルギーを与えます。

では、すべてお見通しではないということをどうやって気がつくのでしょうか。ほしいと思っているおもちゃを親にねだるという場面を想像してください。

子どもが、いちばんほしいと思っているものはねだっても買ってもらえないと思って、2番目にほしいものをねだったとします。予想どおりそれを買ってもらったとき、「これがいちばんほしかったものだよね」と言われたら、心のなかで「ちがう! いちばんほしいものじゃないのにわからないの?」と思ってしまうでしょう。

話を「嘘」に戻します。やがて、嘘を操るようになることがあります。嘘の背景には、自分や大切な誰かを守るため、何かを失わないため、試すため、その場しのぎのため、欺き陥れるため、傷つけるため、何かを得るため、何かを壊すため、そして嘘だと思っていないため、などさまざまなものがあります。

しかし、どのような理由があるにせよ、嘘をつくことで事態がうまくいかなくなるでしょう。どんな些細なことであっても本当のことを言えたことをまずほめられ、怒られるのではなく、穏やかに叱られ、嘘をついた理由について尋ねられ、これからどうすればよいのかを一緒に考えてもらえるような対応が積み重なることが必要と思います。

補足しますが、再会の約束「また必ず会おうね!」とか、相手を心配させない約束「無理しないで頑張るから!」などは、たとえ果たせない約束になったとしても、互いの心の支えになるかもしれません。