(一)国民と国民(祖国のもとで)

アメリカが建国二百周年を祝っている頃、一年ほどでしたが家族とともに米国に赴任し、ユタ州のグレート・ソルトレーク(塩湖)の東岸にあるシラキュースという田舎町に住んだことがあります。子どもたちはアメリカの学齢に従い、現地の学校に通わせました。

小学三年生に入った長男は、しばらくしてカブスカウト(ボーイスカウトの幼年版)に入りたいと言い出しました。クラスの大半が入っていて、放課後引き続いてカブスカウトの活動をするため制服を着て登校することがあり、自分も同じようにしたいと思ったのでしょう。

ところが、入団手続きをしてデパートで制服を求めたときに、胸につける国旗は日の丸でなければ厭だと言い出したのです。ここはアメリカだから米国旗でもいいではないかという私の提案には、頑として譲ろうとしませんでした。勿論デパートでは売っていません。

妻は翌日デンマザー(分団の世話役・女性)のところに同道して、彼の言い分を伝えました。五十歳過ぎの主婦であったデンマザーは、彼を当然の言い分だとして讃え、気付かなかった不明をわびて、その夜の内に日の丸を刺繡で手作りしたのです。翌日の入団式に彼の胸には日米両国の国旗が縫い付けられ万雷の拍手を受けました。

次男は一年生でとしぶんの穏やかな婦人が担任でした。学校に通い始めて一月ぐらいだったでしょうか、その担任がお話があるという前ブレで家庭訪問よろしくやってきました。何事ならんと心配したのですが、事の次第は次のようなものでした。

米国の学校では毎朝の朝礼時に国旗を掲揚し、生徒が国旗に正対して胸に手を当てた敬礼をし、国旗への忠誠を誓う言葉を唱和するのです。ところが次男がそれをしないので、周りの生徒が騒ぎ出し、先生は彼がまだ来たばかりだからとなだめていたが、一向にその気がなさそうなので彼に聞いてみたところ、あれはアメリカの国旗で日本のじゃないと言ったというのです。

先生はそこでハッと気が付いて、彼は日本人だから米国旗に忠誠を誓うことはなく彼の行動は正当なのだと説き、生徒たちは納得しているというのです。そして、先生は自分も生徒たちも彼に教えられた、あなたたちは誇れる息子を持っているといって、にっこりしたのです。

息子たちのこうした行動は、国への帰属意識ないし愛国心といった観念がいつの間にか親も知らぬ間に、子どもの中に自然に育つことを教えていると思います。米国人とて同じことで、夫々がお互いの国を尊重し合って共存することに何の屈託もありません。ところが国と国と言うことになると様相が違ってきます。