光三夫婦は、任地へ発つ前に京都の留守宅に立ち寄った。

下鴨神社の近くに建っている、小島家の古いが格式のある屋敷。大きな樹木が黒々と茂った広い庭に面して回廊で囲まれた座敷が、今宵は賑やかだ。義父の甲藏が機嫌よく光三に酒を勧めてくれている。

「子供たちのことは、心配しなさんな。婆さんと、しっかり躾けておくから。子供なんて親が近くで口を出さん方が、逞しくなるって」

光三夫婦はそろって姿勢をあらため、両親それぞれによろしくと頭を下げた。

甲藏は笑みをたたえて、うなずく。

「洋光は厳しく学業に専念させるさ。うちの家系にとっちゃ久しぶりの男の子だからな。まあ、夏休みにでも一度は鹿児島に呼んでやるといい」

夜のとばりに包まれ始めた庭で、鴨川から引き込んでいる小さな流れが、鹿脅しに澄んだ音を響かせた。野鳥の羽ばたきが聞こえる。

「それにしても、立派なものだ。小さいときから秀才の誉れが高かっただけはある。五十前で鹿児島の知事閣下とはな。いい婿さんに恵まれたぞ、美恵子は」

美恵子は照れたように肩をすくめると、父親を軽く睨む。その様子を目の端に留めて、光三は満足そうにちょび髭を撫でる。同い年の妻が、いくつになっても若々しい仕草を失わないのが嬉しい。賢いだけでなく、かわいらしい女房だと思う。

「いやあ、ちょっとばかり巡り合わせに恵まれただけですよ。お義父さんの父上は奄美大島から京都に出てこられたんですから、あっちにご縁はあったのかもしれません」

そう言って酌をする光三に、七十の半ばをすぎてもなお斗酒を辞さない甲藏がうなずく。

「そうかもな。父親は島でいろんな事業をしている(ちく)一族の分家筋だった。本家を継いでいるのは、ワシの従兄弟にあたる愛一だ。築酒造っていう屋号で酒造業をやっている。いい男だから、是非とも会ってくれな」

二人の会話をにこにこしながら聞いていた義母と美恵子が食事の用意で座敷を出ていくと、甲藏がやや真顔になって口を開いた。

「ちょっとだけいいかな。大知事どのに、まさに老婆心なんだが。光三君は若い時分から人一倍に正義感が強いし、一本気なところがある。それは結構なんだが、思い込みがすぎて周りとぶつからんように心してくれな。薩摩隼人は手強いらしいから」

自分の性格がよく観察されていると苦笑しながら、光三は肝に銘じて自戒しますと殊勝に頭を下げる。

甲藏はニヤッと笑って酒を口に運んでから、言い加えた。

「もう一つだけ。くれぐれも呑みすぎんようにな。あっちじゃ、芋の焼酎を()ることが多いはずだ」

光三は、大酒呑みのオヤジから酒を呑みすぎるなとは言われたくないと失笑した。

甲藏も大口を開けて笑う。

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