第二章 奄美大島

奄美大島の名瀬港にむかう七百トンの奄美丸が錨を上げた。光三と総務部の宇都次長、末永秘書課長に加えて、数名の知事随行者を乗せている。

光三が美恵子に豪語したとおり、見事な晴天に恵まれた出航になった。光三は多くの島に渡ってきたが、島旅の成否は天候に左右されがちだ。これまで島へ旅したときの天候は、かろうじて自分の八勝七敗の勝ち越しかな。そう振り返りながら、光三は今日の好天がとりわけ嬉しい。この出張では、多くのことを見聞できるはずだ。

船は、穏やかな錦江湾を白い航跡を鮮やかに残して静かに進む。奄美大島までは七島灘と呼ばれる海の難所を渡る長い航海になるが、湾内を航行しているあいだは快適のはず。灰色に焼けた山頂から噴煙を上げている桜島や、なだらかな緑の丘がつづく大隅半島、対岸の薩摩半島の南端にそびえている開聞(かいもん)(だけ)の雄姿を楽しめるだろう。

出航してしばらくすると、光三は甲板のベンチに腰を下ろして、秘書課長を話し相手に割り水をして水筒に詰めてきた焼酎を呑み始めた。いつも、島へむかう船の甲板で一杯飲るのが無上の楽しみだ。頬をかすめていく海風が心地よい。

こうした場面でも、光三は常に背広をキチッと身に着けたままでいる。青年時代に柔道で鍛えたいかつい体に軽装では、どこの誰だか分からなくなるのを知っているからかもしれない。

宇都次長が軽装に着替えて甲板に出てきたが、ボスが背広姿なのに気がついて慌てて船室に戻っていくのが見えた。

あらためて背広に着直して近づいてきた宇都次長が、笑顔で声をかけてくる。

「もう召し上がっておられましたか」

光三は、この次長が総務部長から自分のお目付け役を厳しく命じられてきたと確信している。いかにも直属の上司にまめに仕えそうな次長は、奄美での知事の言動を事細かに報告するに違いない。あの総務部長に弱みを握られないよう慎重にせねばと、内心で構える。

もう呑んでいるのかという次長の言葉に、光三は日の高いのにもかかわらず呑んでいるのを見られたのはまずかったかな、そうチラリと思った。いや、こんなに気持ちのいい旅立ちに飲らずにいられるかと笑って返した。

「そうさ。島へむかう船の甲板で飲る酒が一番なんだ」

次長と秘書課長は酒もないままに、光三の相手を長々と務める羽目になる。

快い海風に吹かれながらホロ酔いでとりとめもない雑談をしているうちに、船は錦江湾を抜けた。

外洋に出ると、好天ではあるが、波が一気に高まる。七百トンしかない定期船にとって、その先は予想していたよりも揺れのきつい長時間の航海が待っていた。光三は、同じ鹿児島の県内でありながら、奄美群島の遠さをあらためて痛感させられる。