煩悩は、結や縛という言葉でも表されています。最も下方(欲界)に結びつける結縛が、五下分結です。五下分結は有身見・疑・戒禁取・貪・瞋です。中部経典『五下分結経』によれば、四禅によってこれを捨断するとのことです。五蓋と非常に似かよった概念です。五蓋も、初禅に入る前にこの五蓋を除去することが求められます。『結』にせよ『縛』にせよ『蓋』にせよ、煩悩の本質をよく表わしている言葉です。

執着する対象に結び付けられ、愛着や嫌悪によって束縛させられ、蓋をかぶせられて限定させられ、自由な精神でないようにしているものです。『五蓋』とは、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・惛眠(こんみん)・掉悔(じょうけ)・疑(ぎ)の五つの煩悩のことですが、このうち、惛眠は、惛沈(こんじん)と睡眠(すいめん)の2つです。掉悔は、掉挙(じょうこ)と悪作(おさ)の2つです。

『五蓋』は、数多い煩悩を表わす言葉の中でも重要なものです。なぜかというと、仏陀は、不善の法を捨離→五蓋の捨断→喜→軽安→四禅定→三明と進んで、解脱したからです。このことは、何度も仏典で説かれます。

五蓋の貪欲は貪(raga)から、瞋恚と惛眠は瞋(dosa=嫌悪)から、疑は痴(moha=迷妄)から来ています。dosa(嫌悪)の対象を消したい、殺したい、なくしたいという方向に行くと『瞋恚(悪意や怒り、憎しみ)』となります。dosa(嫌悪)の対象を避けたい、壁を作りたい、嫌だなあという方向に行くと、『惛眠(惛沈と睡眠)』となります。

掉悔(掉挙と悪作)は、そのほとんどが、過去の反芻です。掉挙は、心の浮つきという意味で、うまくいった過去の反芻です。悪作は、後悔のことで、うまくいかなかった過去の反芻です。掉挙は、褒められたり、うまく快楽をゲットできたりという過去を反芻し、心が浮つくことです。悪作は失敗したり、非難されたり、快楽や利益を取り損ねたりした過去を反芻し、悔しがることです。掉挙と悪作は全く違う心の動きに見えながら、掉悔とひとつにまとめているのは、同じところ、つまり過去の反芻から来ているからです。五蓋とは五つの障害であり、『慧を弱める心の付随煩悩』と説かれます。(六浄経など)

つまり、仏陀が、煩悩といい、不善法といい、五蓋というのもすべて、慧を弱めるもの、慧に蓋をしてしまうもの、慧に覆いかぶさるもの、という意味で、それを取り除けば慧が輝きだすということです。