第1章 仏教への疑問─『はじめに』にかえて

仏陀は本当は何を言いたかったのでしょうか。何を私たちに示してくれたのでしょうか。

現代の日本に仏教の解説書は溢れています。仏教の入門書では、仏陀は四諦を説いたとあります。四諦とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦の4つの真理です。

苦諦では、『一切皆苦』を説いたと言います。『人生はすべて苦である』と。本当にそうでしょうか。人生にはもちろん苦もありますが、楽しいこともあります。快楽もあります。人生は楽しくて仕方ないと言っている人もいます。

集諦では、執着が苦の原因だ、滅諦では、執着をなくせば苦は滅する、と解説されています。本当にそうでしょうか。これらの解説が役に立たないのは、どこまでが執着でなくて、どこからが執着なのかをはっきりさせていないことです。

医者になりたくて医学部に行くために勉強する、これは執着でしょうか。オリンピックを目指すアスリートが金メダルを目指して練習をする、これは執着でしょうか。ペットを飼うことは執着でしょうか。執着とすれば、それが苦のみを生み出していると言えるでしょうか。苦よりも楽しみの方が大きいから、人はペットを飼うのでしょう。

道諦は八正道です。正しい見方、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活……というような『正しさ』の8項目だと解説されています。しかし、このような、8つの道徳項目をひたすら遵守したからといって、根本の生老病死の苦が滅するものでしょうか。とても疑問でした。現代の日本の仏教者は縁起についてこういうことを言います。

『私たちはみな縁起によって生かされている。人はみな一人では生きられない。いま食べているお米は農家の人たちが苦労して作ったものだし、いま着ている服も大勢の人たちのおかげでできている。この世はすべて関係性でなりたっている。自分は自分以外のものすべてに支えられて生きている。それが縁起。世間様のおかげで生きていられる。ありがたいことです。ご縁を大切に』

すべてに感謝することは誰が見てもいいことで反対するようなことはないので、このような内容は宗派を越えて多くの仏教者が行っている説法となっています。しかし、はたして歴史上の仏陀は本当にそのようなことを説いたのでしょうか。