母の日記より【1992年】

この年、私も50歳になりました。

そして生まれて初めてJICAの若い方にテニスを教えていただきました。大変ですけど、止まっているボールを打つゴルフより、飛んで来るボールを打つテニスの方が私の性に合っていると思いました。モロッコに来てから3年ほどゴルフをしていましたが、平岡大使の後にいらした大村大使があまりにもお上手なので、私はやめてしまいました。

これらのスポーツは、ホテルハイアットリージェンシーでするのですが、入場料60ディラハム(当時1ディラハム11円)で、1日有効で、プール、テニス、卓球、サウナ、ゴルフ、ジム等を全て使えます。なんて安いのでしょう、日本では考えられません。娘は一生懸命に遊び過ぎて、暑さと疲れで失神した事もあります。

私のマンションのローン、国民年金等の支払いなど、私のかわりに全てを日本で管理して下さっていた坂本陽子さんが、友人3人といらっしゃいました。私と娘を含めた総勢6人で着物を着て、王様にご挨拶に伺いましたら、「困った事があったらいつでも言いなさい。皆さん、モロッコを第二の国と思って、いつでもいらっしゃい」と言って下さいました。

帰りに街を歩いていますと、色々な方から「写真を撮らせて欲しい」と声をかけられました。モロッコではまだ着物が珍しかったんだと思います、まるで有名人になったような気分でした。

その後、皆は王様が用意してくださったワゴン車でマラケシュへ向かいました。私のバースデーの日に、大学受験の為に日本に帰国していた娘から電話があり、大学に合格したとの事でした。今年もなんて素敵なプレゼントだろう。受かった事を王様にお伝えすると、とても喜んで下さり、「まさえ、何か欲しい物はありますか?」と言われました。

街の王宮専属のブロマイド屋さんの写真を買いたいと思っていましたので、「写真が欲しいです」と言いましたら、「分かった、明日ピクチャーフレームと一緒にあげるよ」とおっしゃって、次の日写真をいただいて、またまたビックリ。金でできた王宮の紋章入りの、大きくて凄く重い高価そうなフレームでした。写真は入ってなく、結局街で買いました。

毎年バースデーに良い事があるのは、モロッコに来た事が、私にとって幸運だったという事なのでしょうか。とはいうものの、これからはバースデーの事は絶対に言わないようにしようと誓いました。でも、王様はこの後にも私の車を新車のボルボに替えて下さいました。この年の休暇はカンヌの友人の家と、ロンドンに寄ってから帰国しました。

9月。いよいよ娘が大学進学の為に日本に帰国する事になり、是非、王様と写真を撮りたいと言うので、王様にお願いすると、専属カメラマンにゴルフ場で3人で撮っていただける事になり、大感激しました。

ファミリーが周りで見ていらして、喜んで下さっていましたが、内心はどうなのだろうと心配になりました。何十年も一緒にいる方でも、写真を一緒に撮った事のある方は、ほんのわずかです。私達親子は、本当に幸せ者だと思いました。

「Yukikoは私のファミリーだから、学費は私が日本に送ってあげるから心配しなくて良いですよ」と言って下さいます。

私が、「学費が高くてすみません」と言うと、「全然高くないよ。アメリカやカナダはもっと高い」とおっしゃいました。なんて優しい方なのでしょうと、嬉しくて涙が出ました。

その後大学の休みの時に娘が宮殿に遊びに来ると、王様は、「学校はどうだ、成績は良かったか」と聞いて下さり、帰る時には、「しっかり勉強を頑張って下さい」と声をかけ、由紀子にとっては、本当の父親のように接して下さいました。