【前回の記事を読む】モロッコ国王のマッサージ師となった母…娘はNYの高校へ

私の記録【1990年8月】

幸い、モロッコはムスリムなので、娯楽というものはなく、しいて言えば夜中の12時に開くディスコぐらいなものでした。

ただ問題が1つありました。王様は1年のうち3回から4回、季節毎に宮殿を移動される為、母はそれに同行しなくてはならなかったのです。学校がある為、私は母に付いていく訳にはいきません。そこで、モロッコで初めての日本食レストランを経営する日本人ご夫婦のお宅にお世話になりました。

学校も近かった為、その後夫婦のお家から歩いて通学しました。学校の休みの時は、母と一緒に王様が滞在する宮殿にご挨拶へ行きました。おかげで色々な宮殿を見る事ができました。

王様は、私がご挨拶へ行くと、必ず、「よく来たね!」といつでも優しい笑みで私を迎えて下さいました。

私の記録【1991年9月】

現在の天皇が皇太子でいらした頃のこと。

私は、天皇がモロッコ訪問の際にラバトの空港でお出迎えをする現地在住の1人に選ばれました。私が最前列でお待ちしていると、天皇は一番に私の所にお越しになり「こちらでの生活はいかがですか?」と質問されました。私は、「はい、快適です」とお答えしました。その後テレビクルーから、天皇とどんな会話をしたのかと質問を受けました。

とても貴重な経験をさせていただきました。

私の記録【1992年4月】

モロッコでの高校時代、こんな珍しいエピソードもありました。

私が1人で、大学の願書を出しに日本まで行く事になったのです。予定通り願書を出し、数日東京の母の知り合いの所にお世話になり、母へと10キロの新米をお土産に担いでモロッコへ戻ろうとした時の事。某大手航空会社へ行くと、チェックインカウンターで何となく慌しい妙な対応をされました。気のせいかと思い、機内に乗り込んだのですが、何気なく機内の表示を見たとたん、「ハッ!」っとしました。私の便は明日で、1日早かったのです。

すかさずCAさんを呼んで、事情を説明して飛行機からろしてもらうよう頼んだのですが、それはできないと言われ、無情にも飛行機は一路フランスへ。ここで大問題が発生しました。モロッコへは、トランジットの関係でフランスで1泊しないとならない。しかし、条件は24時間以内に出国するという矛盾した状態になってしまっていたのです。

私はまずモロッコ行きを1日早めないと、宿泊が無効になります。高校生だった当時の私は、カードはもちろん現金も持ち合わせていませんでした。私はどうにかこうにか、モロッコ行きを1日早めてもらい、ホテルに泊まれるよう1人で手続きを終えていざホテルへ向かいました。