【前回の記事を読む】「退院したら3歳になるよ」心臓疾患の少女…母が誕生日を内緒にしているワケ

1章 生まれてきたのは、心疾患の赤ちゃん

そして、夏が本番を迎えた日。退院が決まった。4か月半の入院生活だった。

「ひめちゃん、おめでとう!」

病棟を出るとき、小児病棟の看護師さんたちから、たくさんのプレゼントを貰った。そのひとつが、赤いとびらを開けるデザインに作られた色紙。私の大好きなキャラクターをモチーフにした、看護師さんたちの手作りだった。

「ありがとう!」

予定よりずっと長くて、つらいこともあった入院生活。それでも、先生や看護師さんといろいろな話をしたり、シールを交換したり、入院している子たちとプレイルームで遊んだり、家での毎日では出逢えない楽しさもたくさんあった。

とびらの色紙を見て思い浮かぶのは、治療に耐えている私ではなくて、キミが出会わせてくれた人たちに囲まれて、嬉しそうに笑っている私だ。 

3歳の夏、私は酸素ボンベを連れて家に帰った。これからしばらくは、24時間、鼻にチューブをつけての生活。遊んでいる時も、寝ている時も、お風呂に入っている時も、私は酸素ボンベと繋がれていた。

病院へ行く日は、何キロもする酸素ボンベを持っての移動になる。鼻に止められたチューブは、今まで外からは見えていなかったキミを形づけていて、周囲からの視線が痛いほど刺さる。冷ややかな目、もの珍しそうな目、かわいそうだと言いたげな目。通りかかる人は、少しの遠慮もなさそうに振り返っていく。

病院から一歩外に出れば、酸素をつけている子はごく少数になる。私に向けられる目があたたかいものではないことに、母はすぐに気づいた。

24時間の酸素は、4歳になる前に外れた。そして、朝と夜の薬も本格的になった。朝は5種類、夜は4種類。1日おきに飲む薬は私にも分かるようにカレンダーに丸をつけて、それ以外は毎日、母と一緒に準備をする。粉の量が多くてむせてしまう私は、全部を水に溶かして、スポイトで飲むことにした。

私の中で、薬を飲むことは歯みがきと同じように、当たり前の日課になった。私は3歳で、もう疾患があることに気づいていた。心臓の、だということも多分。

けれど、キミに対しての感情は何も持っていなかった。キミがいる、ただそれだけだったのだ。