ギリシャ以来の哲学は人間存在の在り方を問うことをスルーしてきました。カントなどでも人間存在の謎をスルーして、まるで物理学の解説書のような感じです。ハイデガーは今までの哲学では最も基礎的な問題である人間存在のあり方が、見過されていると主張しています。なぜハイデガーに人間存在の追求ができたのか、興味深い話が伝えられています。これから書くことは『ハイデガー=存在神秘の哲学』(古東哲明著、講談社現代新書)からの引用です。

若いころ神学生であった彼は心臓の発作に一度ならず襲われて倒れ、死の淵をさまよう恐ろしい体験をしています。この強烈な死の恐怖に襲われた体験の後、ある時不思議なことが起こりました。

突然生きていることのすばらしさに打たれ、実存変貌(実存の在り方が変わること)を経験したのです。この瞬間自分が生まれ変わったことを知ったのです。それは驚愕的な体験でした。それと同時に生きる不安や悩みから解放されたのです。この体験が彼を実存哲学へと向かわせ、ギリシャ以来の西洋哲学の新たな境地を切り開いたのです。

彼の代表作である『存在と時間』は20世紀最高の哲学書であるといわれています。後に続いたサルトルなどが活躍し、実存主義という言葉と思想が第二次大戦後一時、全盛を極めました。

日本でも一時、とても流行し実存主義小説なども書かれ、訳がわからないままに、「実存主義、実存主義」と言われました。その影響は今も強く残っていますが、その思想の本質的なものは、不思議なことに一度も国民には理解されなかったのではないかと感じています。彼の哲学の基礎になっている、あの死の恐怖に襲われるような奇跡の体験が他の人には経験できないからです。

しかし今でも人を評して、あいつは存在感のない奴だ、彼は存在感があるとか言いますが、これらはハイデガーの思想から来ています。彼の哲学を少しだけ説明しますとハイデガー思想の核心的部分は本来的存在です。

「人間には本来的存在と非本来的存在二つの在り方がある。前者の本来的存在になれば生きる意義や意味などに一切疑問を感じないで生きることができる。しかしほとんどの人は後者の非本来的存在として転落しながら生きている」とハイデガーは断言しています。(仏教で言えば悟りの境地に達した人と、煩悩に迷っている人と言えば近いかも知れません)

私はこれを知った時「そうだこの本来的存在こそ、真の実存を実現することなのだ」と思わず喜びの叫び声をあげるほどでした。これが私の夢となり、ただひたすら道を求めて何とか実現できないかと求めてきたのです。