第2章 ナイスデイへの歩み

ライフストーリーについて

本人が絶望し、介護人も治らない人の介護をするというわけで、両者は絶望的な状況に落とされます。自殺、一家心中、介護放棄、親殺し、安楽死などの事件が起こっているのが現実です。

要介護になれば、もう戦えないから勝つことはできない。負けるしかないので、絶望の中に生きるしかないのです。負け戦の責任はすべて自分にあると、自分を責め続けてしまいます。日本人はまじめだから、深刻に考えこんでしまいます。

考えてもどうにもならないと、そこでとどまり、自虐の感情が支配し続けます。要介護の仲間が集まると皆暗い顔をして、自己卑下し、これから残された長い人生をどう乗り切っていけば良いのか? どう生きれば良いのかと落ち込みますが、まったく誰も教えてくれませんし、自分たちで考えることもできません。誰かがこの問題に踏み込んで、道を開かなければなりません。

ここにライフストーリーの出番があるのです。利用者さまは戦前の生まれの方が多く、昭和6年の満州事変から長い戦いの後、敗戦を経験し、その後には景気の激しい変動があり、特にバブルの崩壊、リーマンショックなどの避けられない大きなうねりの中で生きてこられました。誰もこのうねりを予見できる者はいません。すべては流れに流されるしかないのです。

バブルの時に財産を失ってしまった、会社が潰れてしまった、などの悲劇が起こり、多くの人が巻き込まれました。このうねりの中で自由に自己決定することができたでしょうか。ほとんどは、あの時はああするほか仕方がなかったんだ、他の決定はできなかったというのが実際ではないでしょうか。

しかし、ライフストーリーで聞き取りしていると、自分のせいで会社を潰してしまった、財産を失ってしまったと思っておられる方が多くいます。自分が悪かったと悔やみ、自己否定されています。ライフストーリー作成のためにじっくり聞いてお話しすると、バブルの時はみんな同じような目に遭っているのか、あれはバブルだからどうしようもなかったと気が付かれるようになるのです。

このことを読んだ、他の利用者さまはバブルの時は自分も同じような目に遭っていると言って話が盛り上がります。そうしてお互いが、自分だけではないんだということがわかり、この運命は自分の責任だけではないんだと気が付き、受け入れられるようになるようです。