日本映画『二十四の瞳』とモーツァルト

1954年に封切られた松竹映画『二十四の瞳』は同名の壺井栄の小説を木下惠介監督が映画化したものである。当時この作品は大変な反響で何度も繰り返し映画館で上映されていた。映画全盛の時代で、庶民の娯楽を代表するのが映画であった。常に映画館は満員で、立ち見することが多かった。

私が見たのは再上映の際であった。私は小学校5年生で家族とこの映画を映画館で初めて見て、大変感激した。その後、映画館で、テレビで、DVDで何回見たことであろう。数え切れないほどである。その度に新たな感動を覚えたのであった。壺井栄の原作も愛読してきたが、この映画はその原作に勝るとも劣らない感動を与えてくれた。初めてこの作品を見た時「僕は、どうしてこんなにも涙が出るのであろう?」と自分でも大変驚いたことを昨日のことのように覚えている。

この映画の舞台となった瀬戸内海の小豆島に行ってみたいと長年願っていたが、50年以上経って、やっと2012年の秋に実現した。小さな島ながら、山や川に恵まれた風光明媚なところであった。物語の舞台となった岬の分教場を訪ね、しばし映画の場面を思い出していた。

十二人の子供と新米の女性教師、大石先生との一生にわたる交流を詩情豊かに、叙情的に描いて映像として残してくれた、木下惠介監督と松竹映画の関係者に心から感謝の意を表したい。物語の舞台となったところは現在映画村になっており、『二十四の瞳』の映画も一日中何回も繰り返し放映されていた。私はここで、またこの映画を見て感動を新たにした。いい映画は何回見ても素晴らしく、私個人の成長と共に映画で伝えたかった、木下惠介監督の思いがさらに鮮明に伝わってくるのであった。

昨今の我が国の教育界の荒廃ぶりを目の当たりにしていると、いつもこの映画が思い出されてくる。子供一人一人に寄り添い、人生を共有する。そういった理想的な教育環境では陰湿ないじめが入り込む余地はないのである。子供一人一人に愛を注ぐ、子供の成長を我が子のように愛おしく、優しく見守っていく。これこそが学校教育の原点ではなかろうか。