生い立ち

二〇二〇国際的なスポーツ大会開催を目の前に、毎年恒例の函館へお墓参りへ行ってきました。毎年七月に函館へ帰るのは、初夏で湿気もなく一番気候が良いからです。最近は内地(子供の頃、北海道民は本州のことを内地と言っていましたが、最近は聞かなくなりました)と同様に蝦夷梅雨という言葉もあり、以前のようなカラッとした気候は期待できません。

子供の頃は、三十度超える日はほとんどなく二十五度超える夏日は年に数日しかありませんでした。そもそも真夏日、夏日という言葉すら無かったと思います。そのような夏日には函館の観光名所の一つで、函館山の南東に突き出てる津軽海峡に面した立待岬へ家族で海水浴へ行ったものです。

今回の目的の一つに私の本籍地である函館市大町をこの目で確認することと、改めて両親のことをもっと知りたいと思い函館へと向かいました。毎年手土産を持ってお会いする、母親と一番仲良かった妹さんのわこちゃんのところへ。わこちゃんとは井上和歌子さんで、いつも母親がわこちゃんと呼んでおり、私も子供の頃から今でもわこちゃんと呼んでいます。

ちなみにわこちゃんは母親千枝子をちーちゃんと呼んでいました。私の本籍地に家はあるのか? 建物は? そしてどんな家でどんな生活をしていたのか? と初めて聞く両親の話でわこちゃんと随分と盛り上がりました。実際に本籍地のその場所にレンタカーを借りて行ってきました。

先程の立待岬とは反対側で函館山の北西側に位置する函館漁港、函館ドックの近くです。白壁のちっちゃな倉庫(蔵と言った方が分かりやすいかも)がありました。漁港が近かったので倉庫として使ってた建物のようでした。全く記憶にはありませんが、この倉庫で私が生まれ、私の人生が始まったと思うと何かぞくぞくし、しばらくそのちっちゃな白壁建物を眺め、時の経過を忘れている自分がいました。