【前回の記事を読む】「小さな幸せに関わりたい」大手メーカーから居酒屋稼業へ!

生い立ち

父親は函館市石崎町で五人兄弟の三番目として漁師の家に生まれました。函館市街中心部から車で海沿いを東へ一時間くらい行ったところにある昆布漁が盛んな漁師町です。石崎町の中学校を卒業し漁師になったものの船酔いで長続きせず、すぐに漁師を断念したそうです。

父親は結構繊細でデリケートでしたので船酔いしたということは何となく分かるような気もしました。そりゃ船酔いする漁師なんて聞いたことがないですよね。

約一年くらい船酔いにも我慢しながら漁の手伝いをした後、海ではなく陸に上がり、地元のトラック運送会社に就職したそうです。中学出たてですから就職というよりは下っ端として雑用手伝いと家で昆布干し等の手伝いをしていたようです。

そのうち運転免許を取得してからはトラック運転手となり、それなりに収入も安定し仕事も覚えていったのでしょう。その後、函館市内のタクシー会社に就職しました。その当時函館は外洋漁業で賑わい、北海道の玄関として景気も良くタクシーは結構収入も良かったみたいです。

昔の若い頃の写真を見るとかなりの男前で、もてただろうと思われる風貌。そこは残念ながら私は全く似なかったようです(全くです! ふ~っ)。

田舎の漁師町から函館に出てきて、それなりにお金も入ればいろいろと誘惑もありそれなりに遊んでたんでしょう。結構賭け事もしたようですが、船酔いする体質と言いましたが、お酒は全く体質的に受け付けなかったので飲む打つ買うの三拍子揃わなかったのが良かったんだと思います。ちなみに私はお酒は大学時代にかなり鍛えられ、なぜか居酒屋稼業をすることになった訳です。そこら辺は後程ゆっくりと。