母が設計した夢の家も建設途中だったが設計を気に入ってくれた人に売れた。

順調に余裕で払える資産があったそうだがもし、ローンの途中で働けなくなったらどうしよう。もし、勧められている管理職試験に落ちたらどうしよう。父の不安を減らすためだからしかたない。

祖父が寝たきりになって父の体力が少なくなった今、祖母の時のように祖父の家に毎週通ったりはできなくなっていたが頑張って時々通っていた。

言ってくれればよかったのに。

父としてのつまらないプライドがそれを言えずにさせていた。この時も、学校から放課後看護にバスで父の病院に通っていた。意識のないままでいる父。ICUベッドが見られる中待合室で何日か待っていた。

しかし、父は意識を取り戻した途端、ICUで尿意をもよおし、看護婦さんが用意した尿瓶では、恥ずかしく、出なくてなんと、脱走してしまった。

この行動に反応できたのが、たった一人。瞬発力を発揮した私のみ。点滴スタンドを持ち上げてバイタル測定器を外し点滴の針が抜けないように、スタンドを片手に追っかけて行った。男子トイレに駆け込んだところを捕獲。

なんとか点滴の針が抜けず、セーフ。そんなに元気だったから、すぐに普通病棟に移るだろうと、勝手に思っていた。本当は、死なないのがおかしいくらいの行為だったそうだ。

「手術は頭蓋骨にドリルで穴を開け、溜まった血液を除去し、血管をつなげる手術です。難しい手術です」

と説明を受けた。無事手術は成功しこけたり、強打したりすると死ぬという話で、終わった。

しかし、父はお酒が大好きで、道端で酔って倒れて、起きて暴れて、警察に保護されるようなこともあった。

「脳内出血をした人がこのような状態で生きているのが奇跡」

だと医師がびっくりしていた。

ちょっと目が見えにくくなったり、ボタンの掛け違えをしたりと、少しずつ確実に悪くなっていた。母の入院は、「卵巣がんと子宮筋腫」、「乳がん」、「大動脈解離」は3回目になった。

始めの頃、夜看護していたら、父が朝、パン屋でサニーパンを買って来てくれて(地元では有名なフランスパンに練乳を注入したもの)病院1Fの売店で水を買ってサポートに来てくれていた。

1日分の私の食事である。しかし、父は介護はできず、予測していたがさあ、一人看護だ!