ジョージア・オキーフ 「雲の上の空」

水仙といえば、まず立原正秋とこの作家が所有していた李朝白磁大壺が浮かぶ。

いびつのある形といい、少し青みがかった乳白色の美しさといい、それは見事な壺で、この壺が影響を及ぼしたとされる小説やエッセイがいくつもある。作家にとって、壺も水仙も特別な存在だったのだろう。

愛娘の幹さんと二人でたくさんの水仙を生けたエピソードも、長男潮氏と眺めた思い出深い文章からも、立原文学にとっていかに大切なルーツのような壺と花だったのかが伺える。

ところが、オキーフが晩年を過ごしたニューメキシコのアビキューとゴーストランチのどちらの家なのかわからないが、質素なテーブルに飾られたガラスの瓶の中の水仙の写真を見た途端逆転した。

水仙はあまりにも可憐で、自然を見尽くした人しか持ち得ない、ある何かが漂っていることに驚いてしまったのだから。

それがオキーフとの出会いで、以来この画家のとりこになってしまった。

孤高であり、官能的であり、存分に自然と語り合うことができた人としか形容しがたい、謎の画家であるように、私には思える。

「雲の上の空」もなんて素敵な絵なのだろう。