ただヘット・ロー宮殿、ケンジントン宮殿もウィリアム3世・メアリー2世お気に入りのロンドン郊外の離宮ハンプトン・コートも、外装、内装も庭園もヴェルサイユ宮殿の様式を踏襲しており文化的には当時のフランスの強烈な影響から逃れられてはいません。

それも道理でヘット・ロー宮殿の主任建築家は1685年のナントの勅令の廃止後フランスから逃れてきた新教徒のフランス人だったそうです。ユトレヒト到着は4時過ぎで、教会も博物館も見られないのを承知でヘット・ロー宮殿からの帰りに途中下車したのは山の会時代のピーク・ハントの性癖にまだ影響されている証拠です。

何故かと問われてもガイド・ブックに載っているからとしか答えようがありません。

日曜日にライデンに行くことにしたのは、2ヵ月ほど前のNHKスペシャル『街道をゆく-第1回オランダ紀行』でライデンが取り上げられていたのが理由です。

オランダ最古のライデン大学がある町で幕末の蘭学者に大きな影響を与えたシーボルトが教鞭を執ったところで、同じくNHKの大河ドラマ『徳川慶喜』によると西周(にしあまね)の留学先でもあります。

『街道をゆく』によるとライデンの町は干拓地で街路の敷石はすべて外国から運んでくるしかなく、1つ1つ石を並べて街路を造っていく画面が印象的でした。

ライデンは1573~1574年にフェリペ2世のスペイン軍に包囲され最後には堤防を破壊しスペイン軍を水攻めにして苦境を脱したそうで『街道をゆく』でも紹介されていた要塞が市内中心に聳えていますが、小さな要塞でこの中にライデン市民全員が立て篭もったとは思えない狭さです。

この時代のオランダは1566年に始まる82年にも及ぶカトリックのスペインからの独立戦争の最中で、ライデン解放はオランダ独立戦争前半の戦いです。

それ以外の観光名所ではライデン大学付属植物園を訪れシーボルト記念庭園/枯山水にある彼の胸像を写真に収めてきました。植物園には藤・蔦・欅等の日本の植物が植えられており懐かしい気持ちになりました。

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[1]1998年5月9・10日(土・日)アムステルダム紀行をご参照ください。

[2]「ピーク・ハント」とは登山用語で頂上制覇に拘ること。地図上に予定ルートを赤線で表示することから赤線主義(陵線踏破主義)との派生語もあります。

[3]NHKスペシャル『街道をゆく』にやや不正確な部分があったことについて2000年10月21・22日(土・日)ユトレヒトおよびアルクマール紀行をご参照ください。