第一章 中谷治宇二郎の生涯

若き日の治宇二郎生地と治宇二郎を巡る人びと

石川県加賀市片山津温泉といえば、一時は繁盛した華やかな温泉観光地であった。しかし、バブルの崩壊と共に往時の面影はなくなった。柴山潟から望む白山、温泉の豊かさ、自然に恵まれたこの地を、加賀市は今、観光と共に学術と芸術の地として蘇らせようとしている。

柴山湖畔には一九九四年に、この地出身の中谷宇吉郎が遺した学術資料の展示と共に、氷雪に関する実験ができる「中谷宇吉郎雪の科学館」が開設された。中谷治宇二郎はこの地で生まれ育った。柴山潟から見える残雪の白山は美しい。治宇二郎はこの春を待ちわびて育ったが、この北国の冬の厳しさは格別で、これを描写したかれの一文がある。

北国の空の陰鬱さは、十一月の、雨にあられをまじえる頃から始まる。空が、雲が、近くの山々まで雪をかむったその雪までが、一様の灰色になって、深くたれ下がったまぶたのように、人々の心を陰鬱にする。この一様の灰色の天地を、おし迫るようなものの響きが、絶えず伝わって来るのである。

若しも冬の初め北陸線を汽車で旅された方があるならば、その物詫びた野中の寒駅に汽車が停まった時、砂丘を越えた遙かの彼方から、野面のづらを吹いて、雪の山々にまで響いて行くこの海鳴りの音を聞かれたであろう。冬の北国の単調を破って、更に灰色の単調を作る海鳴りの音である。(中谷治宇二郎「海鳴り」『〔東京大学〕理学部会誌』七)

治宇二郎は、一九〇二年(明治三五)一月二一日、父卯一、母てるの次男として生まれた。生家は呉服、薬品、雑貨、雑誌を扱う商店で、貸本業も兼ねていた。屋号を芝山堂といい、店の印を㊥としたので「丸中屋まるなかや」とも呼ばれていた。

長男は雪の結晶や人工雪などの研究で知られる中谷宇吉郎。一九〇〇年(明治三三)に生まれ、寺田寅彦の愛弟子として、また随筆家として知られ、科学随筆『雪』『冬の華』等は今日もよく読まれている。治宇二郎の下には、富子、文子、武子、芳子、四人の妹がいた。

当時この地方には、子どもは幼時に養子や養女に行く習慣があり、長女富子は京都市の竹本家の養女に、次女文子は石川県能美郡小松町京町(現小松市京町)の中島家の養女になった。女の子は嫁入り程の支度をして養女に行ったもので、富子の着飾った写真が残されている。富子と文子は早世した。三女武子は別府由布院の伯父中谷巳次郎みじろうの養女になり、その長男宇兵衛に嫁した。

宇兵衛は父已次郎と共に旅館「亀の井別荘」を興した。「亀の井別荘」は大正時代に別府の観光開発に尽力した油屋熊八が、客をもてなすために、已次郎と協力して作った別荘が基になっている。四女芳子は中谷家本家、中谷保が経営する東京赤坂の安全自動車株式会社に勤務する黒瀬亨に嫁した。ちなみに、中谷保は二・二六事件で反乱軍の青年将校が立てこもったことで知られる赤坂の山王ホテルも経営していた。

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『 幻の父を追って 』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。