僕にも思い当たることがあるので大きなことは言えないが、きっと、善とはふり絞るものなのだろう。

他者をいたわる心を実行することは人間の本質だと信じたいが、しかし、そんな人間はきっと一握りなのだろう。だから、イジメを見て見ぬふりをしたことがある人を僕は責められない。

ただ、僕が言えた義理じゃないが、それでもあえて言わせて欲しい。

少しでもいい。その行為を見て、良心が痛んだのなら、その気持ちを大切にして欲しい。

その思いが将来の子供達を救うことに繋がっていくはずだから。

とは言え、人間はどうして平和に生きられないのだろうか? 中国の思想家荀子の言うように人間は生まれながらにして悪(性悪説)なのか? しかし、荀子は続いてこうも言う。     

『人は生まれながらにして悪だから、努力で善に向かわせなければいけない』

しかし、今の社会は善の言葉が虚しく響く。

例えば、ニュースをにぎわすひき逃げ事件。

ひき逃げにあってうずくまる被害者。

ひき逃げをした車を追いかける者もいた。

しかし、多くは被害者を横目に通り過ぎる社会人達。本当にこれでいいのかとテレビの画面越しに血の気が引いた記憶がある。

また、一部のネット民達。

匿名をいいことに感情の赴くままに相手を罵る彼ら。

彼らなりの正義はあったのかもしれないが、結果、人を自殺に追い込む行き過ぎた正義感。

正義のためなら人を殺していいのか?

どうしても言いたいことがあるなら、言葉を選んで相手を傷付けないように細心の注意を払うべきだと個人的には思う。ましてや、対面ではないのだから一息ついて書き込みが出来るはずである。

さらに、ストレスのはけ口のために書き込みをする卑怯な人達。彼らの餌食になった人達がどれだけ傷付き自殺しただろうか? この様なニュースが流れるたびに憤りをおぼえるのは僕だけではないだろう。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『イジメられっ子の僕が愛を知った真夜中に』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。