出版を諦めきれなかったので……

だが「諦めた」と思ってもどうしても諦めきれなかったのは、私の書いた原稿を誰にも読んでもらえなかったという一点だった。

一人でいい、誰かに読んでもらいたかった、と思った。それも、できることならば「角倉了以」という人物を理解できるような人に読んでもらいたかった。「誰かに読んでもらいたい」と言ってもその読者は誰でもよかったわけではない。

たった一人の読者だからこそ、人間・了以としてはもちろん、経営者、事業家としての価値を十分に理解できるような、そして、できるなら了以を尊敬もしてくれるような人物に読んでもらいたい、そう思ったのだ。まったく、どこまで厚かましいのだ、と思うのだが、角倉了以という人物の存在はそういう価値だろうと、今でも信じている。一人でいい、誰か私の原稿を読んで、そして、角倉了以を理解して……日々考え、願った。

そして出版社を紹介してくださった会長が亡くなってから二、三か月した頃、私は「やっぱり諦めない。私と了以の望む”ひとり”の読者を獲得しよう」と心に決めた。

そして、いま思えばいかにも無謀なのだが、勝手に「この方」と思うひとりの高名な事業家を選んだ。面識はもちろんないし、紹介者もあったわけではない。著作やメディアを通して伝わってくるその方の考え方や言動が「私の了以」にふさわしいと勝手に思ったのである。先方にしたらとんでもなくご迷惑な話だったのかもしれない。だが「角倉了以」のために選ばれたのだから、ちょっとは名誉なことと理解してほしかった。

そして、また、そんな風な理解をしてくださりそうだと思えるような方だった。そうして呆れたことに、即座に四百字で六百枚ほどの原稿を依頼の手紙とともに宅配便でその方のもとに直接送ってしまった。

「こんな失礼なやり方、呆れられて原稿は捨てられてしまうかもしれない」とは思った。だが最初から「これは賭けだ」という気持ちがあったので断行することに迷いはなかった。