賭けに成功したと思ったのだが……

“ダメもと”の「賭けだ」と思いながら、何故かはわからないが「必ず読んでいただける」という確信のようなものが生まれてもいた。

実際、後で出版が決まった時、出版社の社長に「何万、何十万いるかわからないが、日本中の経営者のなかで突然六百枚もの原稿を送りつけられて黙って読んでくれるような人はあの人だけだと思う。普通なら即座に“処分しておいて”と秘書に渡され、捨てられてしまうのが落ちだよ」と言われた。「よくもあの人に狙いをつけたものだ」と妙なところを感心された。

本当にたった一回の最後の賭けに私は大成功したと言っていいと思う。そうして結果的にはその“暴挙”のお蔭で私は素晴らしい一人の読者を得ることができただけでなく、出版への道も開かれることになったのである。

原稿を読まれたその方は「この原稿は出版した方がいい。お手伝いしましょう」と申し出て下さり、出版社へ繋いでくださった。ご紹介くださったその出版社は、私の書いたものとは少しジャンルの違う種類の出版をされていたため、社長はご自分の考えだけでなく編集部全員に読んでもらい、みんなの意見を聞かれたそうである。

そのうえで「この原稿にある角倉了以の志こそ、自分たちが出版を通して伝えようとしてきた思いと同じだ」と結論を出され、出版してくださったのである。本当に思いもかけない方々の応援を得て「私の了以」は本になることができたのだ。

それだけに皆様方の恩に報いなければいけない、というプレッシャーが重かった。「本は売れてほしい、売れてくれなくては困る」という気持ちが半端ではなかった。

自分ひとりなら案外諦めの早いタイプなので「なぁんだ、売れなかった。でもいいや、本になったのだから、万々歳よね」で済んでいたろうと思う。だが社会的にも高名な、尊敬すべき人物を心ならずも“動員”してしまっているのだ。その方の面子というものもあろうし、出版社としてもご自分たちの方針を曲げてまで出版して下さったのである。

それが「売れなかったね」では到底済むまい、という気持ちである。実売数を聞いているわけではないが、「売れているか、そうでないか」くらいはわかる。