でもきっと、この質問者は、その答えもわかっていることでしょう。先ほど言ったように、読むべきときに読むべきものが読めるまで、つまり、「満足する本に巡り合うまで、己の感性を研ぎ澄ませながら無理せずゆっくり読書を続けてください」ということです。読みにくい本があるからこそ、面白い本に出会ったときの喜びが、より増すのです。この本はすごいと思い、読後もしばらく記憶が途絶えず、来る日も来る日もしげしげとその本を眺めてしまう、そんな幸せを感じる日まで。

それが実行できない人は、所詮、読書には縁のない人生というだけです。「読書以外からでも知識や教養を身に付けられますので、別なものに再度チャレンジしていったらいいのではないでしょうか」と答えるしかないのです―また、突き放してしまいました。

まとめ

後半は辛辣(しんらつ)な内容になってしまいました。身も蓋もない結論だった割には偉そうでしたね。

偉そうついでにもう少し正論を言うと、読書における私にとっての最大の効用は、着想できるか否かです。内容を理解して納得しただけでは、本の活用として不十分です。新しい発想が浮かび、活きた言葉として応用するところまで持っていくことで、はじめて読書の本質が見えてきます。文章の意味を一つずつ理解しながら読み進めたり、気になる記述があれば読み返したり、付箋を貼ったりメモしたりすることによって、想像力を掻き立てられます。そうして私の読書は、記憶する読書から発想する読書に変換されました。

読書が、充実した生き方や豊かな暮らしに応用できればいいのですが、いまはまだ、自分のエッセイを書くという発想しかできないでいます。少しずつですが、これからも精進していきます。