凡庸たる人生のスタート

私たちの世代はゼロからスタートしたわけである。小学校時代は食べ物を求めて野山を駆け回り、楽しい思い出が多い。戦後の荒れた時代で戦地より復員した先生から教壇に立たされビンタをくらった経験も今は懐かしい。中学校2年の時、この子は進学校にでも行かせねばだめだと親は思ったのか、岡山市内の有名進学校丸の内中学校へもぐり入学させられた。私が自分の事は自分で考え、決め、人を当てにしない習慣はこの時身についたようだ。

[写真1]操山高校時代の親友。後方左より山岡(早大)、山名、黒田(香大)、五藤(前列京大)。 卒業後は皆忙しく会う機会も少ない。

遠縁に当たる岡山市内在住の老夫婦の一室を借り、そこから自転車で通った。先生からは「山名お前は学区内から何で自転車で来るのか」と分かりきった嫌味を言われながら、当時5%入学枠制度はなかった。中学、高校と机には座っていたがろくに勉強もせず、前の壁を眺めつつ、今日は何もしなかったが明日からはこのようにやろうという計画魔で、一晩で総理大臣になるほどの夢想少年でもあった。

 

岡大医学部には一浪して入学した。浪人したときは至極当然だと思い、一学期は相変わらずのんびりとやっていた。夏ごろ行われた現役3年生を含む学内テストで、張り出された順番表に私の弟が上位に出ていた。弟は秀才の誉れ高く、現役で東京外大に入学した。理系は全くダメだが、文系はめっぽう強かった。数学など白紙で出していた。その弟に上位に出られたときはさすがに目が覚めた。誰からも勉強しなさいと言われない状況下であったが、それからは本気で勉強に励んだと思う。定められた道、岡大医学部に翌年入学した。入学後は相変わらず授業にもほとんど出ず、何をしていたか思い出せないような時間の過ごし方であった。

こんなことがあった。夏休み、友人3人とテントを担いで北海道貧乏旅行をした。夜食事のとき酒を飲み、アイン、ツバイ、ドライと言って皆が歌を歌いだす。私はその意味が分からず、さりとて、聞くわけにもいかず悶々としたある日、思い切って友人の一人にアイン、ツバイ、ドライとはなんだと訊ねた。大学に入学して3~4か月たったころである。

[写真2]約1か月間北海道内を鉄道で移動。テント生活で、食料は近隣の農家で調達した。

お前、そんなことも知らないのかと言われ、英語のワン、トゥー、スリーだと教えられた。即ちドイツ語の授業に一度も出席していなかったわけである。9月には前期の試験がある。勉強せねばと思い、友人より単語帳を借りた。ドイツ語試験は無事通過したが、単語帳を貸してくれた友人は落第してしまった。今でも大変申し訳ないと思っている。