ゆっくり歩いて行こう

佑子は案内されるがままに、グラウンドを見渡せるベンチに、花田先生と並んで腰かけた。

「私もね、定年退職を迎えながら、今もこうして嘱託顧問をさせていただける。幸せなことですよ」

がさつな大声で生徒を叱咤するイメージしかなかった花田先生は、静かな声で話し始めた。グラウンドの真ん中では、山本先輩と龍城ケ丘のキャプテンが指示を出しながらウォームアップ練習を進めている。赤い練習着の大磯東のメンバーは、それぞれが白いジャージの龍城ケ丘の上級生とペアを組んで、おそらくは最大級の緊張の中にいるのだろう。

「教員を引退するタイミングで、山本が来てくれてね。楽隠居かと思ってたら、またグラウンドに引きずり出されてしまった。あっはは、そうしてまた、ここにいるんだから、因果な性分なんでしょうな」

花田先生の視線は、それでも佑子の方を向かず、油断なく、という光を宿してグラウンドに注がれている。この先生を突き動かしている情熱って、一体どこから出てくるんだろう、と佑子は思わずにいられない。でも、生涯かけてそこに打ち込んできた人の、決して消えてゆくことのない熱を、花田先生の小さな身体の中に感じる。一緒にプレーしたり、あるいはぶつかり合ったりすることがなくても、きっと龍城ケ丘ラグビー部のメンバーは、花田先生と深いところでつながっているんだろう。だからこそ、この先生はグラウンドに足を運び、時に大きな声を出す。

「基本の基本が、大事なんです。私はね、新しい戦術や展開も勉強した。やってみたいことも、たくさんあった。でもね、ラグビーを始めたばかりの高校生に、奇をてらったやり方を落とし込んで、その場だけ勝つ、というようなことは教えたくなかったんだ」

練習は、葉山高ではヘッドダッシュと呼んでいた練習に移った。キックされたボールを四人のメンバーで追う。高く蹴りあげられたボールを、大磯東の一年生はキャッチすることができない。ボールのロストやノックオンが繰り返されるけれど、龍城ケ丘の上級生は丁寧にアドバイスしてくれる。心中では苛立ちもあるのかもしれない。けれど、誠実で辛抱強いこの姿勢は、花田先生が培ってきたものなのだ。

この先生から、もっと学びたい。佑子はそう思う。高校生の頃はただの口うるさいオジさんにしか見えなかったけれど、実直で、本心から生徒のことを思っているのだと、一対一で話を聞かせてもらって、初めてそう思う。

「私はね、生徒から好かれる教員じゃない。煙たがられて、怖がられて、それは分かってるんですよ。でも、いや、グチになるかな。あっはは」

そう言って、花田先生は改めて佑子の目を見る。

「あなたも、まだ若くて綺麗な先生だけど、あえてラグビー部の顧問をやってくれるんだ。頑張ってください。泥にまみれることもあるかもしれないが、いつも生徒の方を見ていようと思ってれば、あなたなりのやり方が見つかるでしょ。あなたや、山本を見ていると、羨ましくて、嬉しい」

佑子の胸の内には、あたたかなものが広がる。こんなにも正直でウラのない先生だったんだ。頷きながら話を聞いているだけだったけれど、今日のこの時間は、宝物だ。