【関連記事】恐ろしい…「両手を!」夜、夫が妻に放った信じられない命令

〈3度目の転職〉2013年

夫が転職して4年ほどたったころ、今度は夫の会社の事業所が閉鎖になることに。

遠くへ転属になるか、辞めるか。二択でしたが、変化を嫌う夫は「辞める」ときっぱり。3度目の転職を余儀なくされました。

そのころ父の経営する会社の経理担当がちょうどいなくなり、夫は私とともに父の会社で働くこととなりました。思えばここからの数年が、私にとって最も辛く厳しい時間となりました。思い出すのもおぞましい、逆切れや責任転嫁の毎日でした。

いままでとはまったく違う経理という仕事。理系の夫にはちんぷんかんぷんだったのでしょう。おまけに、うちの会社は小さいので、経理にとどまらず、個人のお客さまからの注文をとったり、企業からの電話応対もある。あるときは、クレームの電話に逆切れし、お客さまから相手先の会社にクレームが伝わり、始末書を書かされるという事態も。それでも夫は、悪いのは客のほうだと一歩も引きません。このときも一言の謝罪もなし。向こうが悪いのに謝るなんておかしいと。

また、ときには現場の仕事を手伝うような場面もあったのですが、臨機応変が苦手な夫は、経理の俺が現場を手伝うなんてあり得ない。俺は経理としてここに来たんだと手伝うことを拒否。そのときも、私が何とかなだめ、現場の仕事の手伝いをしぶしぶするようになりました。

身内の会社に置いてもらっているという申し訳なさや、夫の態度の横柄さに板挟みになり、針のむしろのような日々でした。そんな夫の態度をひたすら隠し、すべてをフォローし、社内の人間と夫の間を取り持ち、なんとか夫を会社につなぎ留めておくことに必死でした。この人が仕事ができなくなれば、私たち家族が壊れると思ったからです。そのために、私は限界まで無理をしていました。心身ともにギリギリの日々でした。

〈悪夢の女子サッカー〉

このころ夫は例の女子サッカーにはまっていました。このころは、ちょうど女子サッカーブームで、澤穂希さんたちが活躍していたころです。

最初は土日、徐々に平日の夜も練習を見に行くという理由でグラウンドへ行くようになりました。最初はサッカーの試合を撮影するという理由で、カメラを持って(カメラ以外にも、三脚だのなんだの、リュック型のカバンにものすごい荷物を持って行きます)グラウンドに通っていました。

そのうち、そのサッカーチームのボランティア活動で、試合前にコートの整備とか、ゴールポストの設置、客席の整備、そんなものに行き始め、試合の日は早朝から出かけるようになりました。それだけなら別にいいのです。だけど、朝の準備がうるさいのです! バタバタバタバタ、よくもそんなに音を出せるなぁと言うぐらいにうるさく動き、ようやく出ていくのですが、こっちはせっかくの休みにはゆっくり寝たい。