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会社倒産の危機に──弱い人が私を強くしてくれた

還暦を迎えた年、私が働いていた会社で、O-157による食中毒事故が起こった。

原因はアメリカから輸入したハンバーグにO-157菌があったためで、営業停止になった。

原因が輸入したパテそのものにあったこと、レストランの厨房になんの原因もなかったことが認められ、営業停止は直ぐ解けたのだが、その時倉庫にあった在庫の肉はすべて廃棄とされた。

営業停止が解けても売るものがないレストランではどうにもならなかった。そこから苦闘の時間が始まり、じつにさまざまなトラブルや問題にぶつかり、苦しんだ。

何しろ、何をしても痩せられなかった私の体重が二年間で十キログラムほど減ったのだから、どんな月日だったか想像に難くないだろうと思う。

思い切った縮小によって、ようやく虎口を脱することができたが、その二年の間、どの一日も全員にとって苦闘の日々だった。

だが、なぜか私は事故発覚の翌日の朝の光景をよく思い出すのだ。いつもより早く出勤した会社には本部の全員がもうそろっていた。

皆、「会社はどうなるのだろう」という不安でじっとしていられなかったのだと思う。

皆が私に注目しているのはわかったが、なかでもじっと私を見ている若い社員に気が付いた。痩せていて、いつも顔色が悪く、気が弱い経理の社員だった。

その彼がいつもよりいっそう顔色が青白く、頬には鳥肌を立てていた。不安そうな眼で私をじっと見ていた。彼がこの先どうなるかわからない会社を思い、恐怖に駆られているのがわかった。

その彼の眼をじっと見返したとき、私は突然自分が強くならなければいけないのだと悟った。

私自身、「どうなるのだろう」という不安がないわけではなかったのに、彼の震える鳥肌の立った頬と不安な眼を見たとき、理由の説明はつかないのだけれど、忽然と「私が強くならなければいけないのだ」と感じたのである。

そうでなければ、ここにいる、また、店舗にいる大勢の従業員たちを守ることはできないと理解したのである。

いつも「誰かに守ってもらいたい」とばかり思ってきた私が、突然それまで被っていた仮面を脱ぎ捨てたような、そんな感じがした。

そうして、そんな混乱のさなかなのに「なるほど、弱い人がいるから人は強くなれる」というようなことを、なんだかきわめて冷静に分析している自分に驚いた。

人生で初めて「弱い人」の存在や役割を理解できたのである。強い人が強くいるには、弱い人の存在が必要なのだと思ったのである。

少なくとも、あのとき私が「強くなろう」と思えたのは、頬をひきつらせ、震えていた弱い人がいてくれたお蔭である。

強い人が偉くて、弱い人はダメだという私の考え方の愚かさを還暦の年の、いつ会社が倒産してもおかしくないというような非常時に忽然と理解したのである。