テーブルにつき、受取人と正対した。その隣には、父親が座った。受取人である娘さんは、下を向いて私を見ようとしない。私は、そんな娘さんを見ながら、今までの経緯を説明した。

隣の父親が、その都度、怒りながら、私に唾がかかりそうな大きな声で説明をさえ切った。

「だから……。それが違う……」

と自説をまき散らす。私は、その意見を慎重に確認しながら聞いた。その意見は第三者の考えで当事者の意見でないことは、隣で涙を流して小さくなって下を向いたままの娘さんを見て理解できた。

この案件を、ここまで迷路のように未解決案件にした理由が、この父親にあることが察知できた。私は、話を変え、徐々に父親の生い立ちの話の方向に向きを変えた。

父親は、航空自衛官で地方の指令基地に勤務し、航空機の飛行ルート等を指示する管制官であり緊張する勤務に就いていた。航空機により、飛行ルートが違い、違反すると罰金を科することも聞いた。

業務で苦労することも聴き、大変に重要な任務を帯びた業務を行っていたことを認識した。長時間話を聴き、父親の経歴について敬意を表した。

「素晴らしい経歴ですね。日本の空は、そのような努力で守られていることを知りました。有難うございました。お父様を尊敬します」

私も、今までの経歴を話し、若い時は「山」人間で、ヒマラヤまで行き、当時は飛行機に乗り北京で乗り換えネパールに入り、大変に航空機には苦労したことを話した。

北京に着くと突然機内に紅衛兵が乗り込みパスポートを全員取り上げられ、びっくりしたことから、キャラバン中の話を面白おかしく説明し、そんな話をしながら徐々に父親との関係が穏やかになってきた。

父親の顔も和らいでおり、素直に説明できる環境が出来た。